オープンアクセスのことは嫌いにならないでください!

今週のScience誌に出ていた、論文ではないがTopics記事と、それを紹介したブログエントリが話題になっており、読んだ。
バイオ系研究室PC管理担当のメモ
むしろ、日ごろダイレクトメールで送られてくるCall for papersから強烈なアヤシサを感じていたHindawiグループが「まとも」ということが、現場の研究者としてはちょっとしたおどろきだったとおもう。
以前に少しだけ論じた、知識の生態系を考える上でも極めて重要な事例であろう。
オープンアクセス誌を問題とする際、主たる論点は

  1. ほとんど充分な査読の行われないスパム的OA誌があること
  2. Sci RepがNatureの姉妹誌として見掛け上不当に高く評価されてプレスリリース・新聞掲載されること
  3. PLoS ONEが何か凄い雑誌のようにプレスリリースされて新聞に出ること

である。
「玉石混交」を「無査読」と「瑣末」という意味で混合してはならない。瑣末であっても査読された論文はけして「石」ではなく、すべて「玉」であるといいたい。
逆に、(実質的に)査読されていない(原著)論文は、これは存在を認めることは極めて困難であろう。
また、Sci RepやPLoS ONEであっても、プレスリリースしたらよい。原則、あらゆる査読された論文は胸を張ってプレスリリースしてよいはずだ。それを記事として選ぶのは新聞であろう。
そういった意味で、1と、2及び3を混同して論じてはならない。
私はPLoS ONEであれSci Repであれ、オープンアクセス誌であること自体は強く擁護したい。そしてオープンアクセスであることは、この1, 2または3のいずれとも本来、無関係である。
実際、記事の中にも、

オープンアクセスがいいことだってのはみんなわかってるんです、問題はどうやるかなんです

ということばがハイライトされている。

この掲載基準は非常に重要であり、彼は正確にそれを理解しかつ実践したと思う。(※引用者注釈 P1とはPLoS ONEの略記)
そして、それは歓迎すべき傾向であると思う。とりわけエルゼビア等、巨大論文誌出版企業の、研究機関図書館の購読予算に与える暴威を考慮した時にである。
恵まれた購読数をもつ図書館を有する研究機関に所属する人間は決して実感を持って理解できはしないことを私自身そういった人間であったからよく理解しているけれど、いま私は、総合大学や実質国立の大研究所よりも相対的に小規模な研究機関で生活しており、論文の購読数も限られた総合誌と、植物系の専門誌に限られている。これは、系統を越境していく責務を負う進化生物学者としては極めて大きなハンデである。これをオープンアクセスジャーナル(と出版1年後のPubMed Central)が助けてくれることは何度もあった。
そしてさらにいえば、総合誌と専門誌という区別も、インパクト・ファクター等による見かけのランク付けと同様、疑問視からは、まぬかれない。
例えばNatureに載っていても神経や幹細胞や癌etcであれば私には無意味で、つまりNatureは相対的に目を通す必要性は低い。却って何が出てくるかわからないPLoS ONEのほうが遥かに面白い。
研究者個人としての私の「環世界」としてNature<PLoS ONEだということも、背景に、論文が多すぎるために

  1. Google/PubMedアラートの利用が多くの研究者にとって前提
  2. F1000/Mendeley/Google Scholar等の推薦システムの不十分ながら台頭

という事実がある。

これはおおきくて、SNSは白眼視されることも多いが、「次に何を読むか」ということを考える上で、重要な一部分になりつつある。つまり、擬似的で散発的な読書会現象が日々生起しているのを感じる。
それどころか私は、PLoS ONEは「学術論文」の本質を最もよく体現しているように思って強い好意を持っている。
前に、研究者はなぜ金を払って雑誌に論文を掲載するの?という、院生?らしきひとの「素朴な」疑問を見かけたことがあったが、端的に言えば学術論文誌というのはおしなべて畢竟「同人誌」である。つまり、志をおなじくするもの同士が寄り集まり、ガチャガチャといいあって作っていくというのが、英国王立協会紀要以来の、学術論文であり学術雑誌の本義である。いや、雑誌に載せれば金がもらえるというイメージしか持っていないという時点で、同人誌を知らないのだろう。疑問というのは素朴でありさえすれば良いというものではない。

追記
いうなればPLoS ONEは一昔まえのPNAS(のアカデミー会員枠)の位置づけと考えるのが理解しやすいんだよね。もっともそれより遥かに枠は広がった(そしてそれは良いことだ)わけだけど。

なおここでわたしは「査読」については言ったが「論文の正しさ」についてはひとことも論じておらないし、真善美を論じることは一切意味がない。言い古された「査読したものであれば正しいのか?」と素朴に問うことはナイーヴである。
ところで、はてなブックマーク - オープンアクセス誌の玉石混淆ぶりが明るみに - バイオ系研究室PC管理担当のメモを眺めていて思ったのは、ひょっとして、研究者でも、ScienceとかNatureの、「論文以外」の記事って読んだことある人って凄く少なかったりするのだろうか。