殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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緑藻の性決定モデルの論文が出ました/二百三高地を越えて

論文が7月12日に公開され、7月19日付の米国科学アカデミーの紀要に掲載されました。一般に「ピー・エヌ・エー・エス」と呼ばれている学術誌です。

A conserved RWP-RK transcription factor VSR1 controls gametic differentiation in volvocine algae | PNAS

3月にプレプリントを公開したものです。

A conserved RWP-RK transcription factor VSR1 controls gametic differentiation in volvocine algae | bioRxiv

本成果は京都大学から日本語で、また現所属からは英語でプレスリリースを行ってもらっています。

kyoto-u.ac.jp

緑藻のクラミドモナスとボルボックスの話です。ただ、陸上植物側を見渡してみても、たぶんそれら全ての真核緑色植物の共通祖先がこのファミリーを有性生殖で使ってたんじゃないかということも考えられるものです。だから、陸上植物を扱う植物学者にとっても視野を広げるものとなるのではないかと思います。また、植物を超えたさらに広い生物学者にとっても、有性生殖だけでなく、転写因子の働き方を変調させるモデルとして参考になればいいと考えています。ご感想やご連想があれば是非、メールフォームにお寄せください。

thinkeroid.hateblo.jp

現代分子生物学のドグマと「性決定」システム

2005年に研究を始めたときに緑藻のオスを決める遺伝子に取り組みました。1997年以来、MID(通称OTOKOGIとも)という遺伝子が知られてきました。そして今回報告したのは、そのペアになるVSR1遺伝子です。

遺伝子やタンパク質が「オスを決める」「メスを決める」というのは様々な含意がありますが、ここではメス(またはオス)が有性生殖を進める時に使う遺伝子群を「呼び出す能力がある」ということです。言い換えるなら、精子とか卵というのは、精子なら精子に特徴的な遺伝子、卵なら卵に特徴的なひとそろいの遺伝子がタンパク質として呼び出された状態ということです。

乱暴な言い方をすると、ある生物がゲノム中にある遺伝子を持っているというのは、パソコンやスマホにアプリがダウンロードされてインストールされた状態にすぎないということです。その遺伝子の機能を発揮するためにはタンパク質として転写・翻訳をする必要がある。これはパソコンでいえばアプリを起動した状態に相当します。

「ある細胞の機能は、発現している遺伝子のリストによって決まる」

これが現代の分子生物学が共通して依拠している教義とも言えるものです。単に「DNAが転写されたRNAが翻訳されてタンパク質が働く」という、俗に「セントラルドグマ」として呼び習わされている一直線の流れよりも、現代の分子生物学の考え方を理解する上ではずっと大事であるように思っています。

そして、きょう話題にするMIDやVSR1という遺伝子・タンパク質は、「どんな機能の遺伝子を呼び出してタンパク質を作ったらいいか?」ということを指定する「転写因子」と呼ばれているものです。

MIDは「オスを決める遺伝子」でした。そのことをじっと考えた時裏にあるひとつのもう一つの重大な事実に気が付きます。「メスがベース、基本となる性だ」ということです。そして、次に本当に解くべき問題は「じゃあメスはどう決めてるんだよ」ということです。これは同時に「そのメスをMIDがどう変えてるんだよ?」ということでもあります。

midを喪失した変異体は、オスの配偶子である精子を作ることができず、卵をつくってしまいます。これは実は、上記のドグマのことばでいうと「オスの配偶子であると決めることができなくなる」ために「メスの配偶子である卵とせざるをえない」ということを意味しています。

今回発見した遺伝子であるvsr1変異体では、メスもオスも配偶子の細胞をつくることができなくなります。つまり、メスでもオスでも遺伝子リストの指定をすることができなくなる。「そもそもオスとかメスとかの配偶子になるための遺伝子リストを指定することができない」のです。

実際に、通常(野生型)であればオスやメスの配偶子で呼び出されている遺伝子が変異体で呼び出されるかどうかを調べましたが、一切出ません。

こうしたことからVSR1こそが「メスとかオスとかを決めること」それ自体のベースになる機能を担うことがわかります。そしてこのシステムのデフォルト設定は「メス」になっている。MIDはそのシステムに変調をかけて「オス」設定にしている、と推察されました。

性決定モデルの構築

わたしたちはここから一歩進めて、「VSR1とMIDがどうふるまうのか」を調べました。実はVSR1がメスではホモダイマー、オスではMIDとのヘテロダイマーを形成することで、それぞれに必要な遺伝子を発現し分けているだろうというのが結論です。

VSR1だけでつくる二量体がベースのシステムである。
MIDが加わると、VSR1とのヘテロの二量体になる。
このホモ・ヘテロの切り替えが性決定の内実だろうと推定できたことが今回の成果です。

そしてこれは新しい仮説なので、現在はその続きをやっています。

どういうところがうれしいか

いいところに出てよかったという正直な気持ちはあります。でもそれ以上に、本当に重要だった問題に全力で取り組んで解決したことがうれしい。また、本当に読まれるべきひとたちに高く評価されたという思いがあります。

受理の時点で、ハンドリングエディタはクラミドモナスのコミュニティの中心のひとりと判明しています。投稿から受理まで、起きている時間はずっと投稿・査読状況ステータスをF5連打していましたが、投稿後にエディタがアサインされて査読に回るまで、ドミノ倒しのように間髪入れずに推移していました。

想像ですが、投稿した原稿がボードに乗った瞬間にハンドリングエディタが手を挙げてくれて、しかも「この論文でレビューアはこの二人以外有り得ない」という二人にその場で回したのではないかと思います。

手前味噌ですが、私が仮にエディタでもそうすると思います。

2名のレビュアーについては、匿名です。ただし、実のところ、それほど大きい業界ではありません。重鎮とされるひとは極めて限られており、そのいずれもが極めて重要な発見を幾つも出してきた伝説的な研究者たちです。私は正直、その人たちの「視線」と「太刀筋」、横文字で言うならインサイトを査読コメントの中に感じました。ジョークめいた比喩でいうなら「縦読みをすれば誰が査読したかわかる」ような状態です。どの人たちの論文も何本も繰り返し読んで自分の血肉になっているのです。査読のコメントへの応答はそうした重みを感じる経験でした。そのレジェンドたちは先月の学会にも出席していて直接話す機会もあり、非常に熱心に議論することができ、手応えを感じました。

つまり、レビュアーが誰かというより、本当に届いてほしいひとにちゃんと届いたのを肉声で感じることができたのが最高の喜びです。

着想に至った経緯()

なんとなくですが、MIDがダイマー化すると予想していました。ダイマーで働く事が多いとされる、RWP-RKファミリーの DNA結合ドメインを持つからです。しかし、それがホモダイマーかヘテロダイマーかはわからなかった。
実は10年前はホモダイマーなんじゃないかと期待してMIDでSELEXとかしてました。今から考えれば、完全に無駄でした。その時にいきなりツーハイしていれば……と思いますが後の祭りです。逆に言えばそれぐらい酵母ツーハイブリッド解析はきわめて使い古された技術でもあります。

2018年に広島の植物学会に参加した時に、ゼニゴケの有性生殖に関与する転写因子を研究している山岡先生の学生さんが酵母ツーハイブリッド法してスクリーニングしている発表を聞きました。
そのときにぼーっとしながら「ツーハイかー、MIDもやってみるかなあ」と思いました。学会が終わって研究室に戻り、学生に「ツーハイある?」と聞いたら「ありますよ」と言われました。そして「最大の未解決問題はやはり性決定システムです。ツーハイやります」と上司に言ってサイドプロジェクトで始めました。

候補には、MIDと同じRWP-RKファミリーで、同じ有性生殖の時期に発現する転写因子3つ(RWP4/7/11)がありました。

ツーハイの経験まったく無のところで右も左もわからないまま、何も考えずにCDS全長突っ込んだコンストラクトを3遺伝子分作った。MIDをベイト、MID/RWP4/7/11をプレイにしてツーハイしたら、後にVSR1と改称することになるRWP11だけがMID相互作用することがわかった。

土曜の朝に研究室に来て結果を確認した時嬉しくてオイオイ泣きました。

そこに至る直前の流れを言えば、その前の週にはMIDとRWP11が相互作用することはわかっていた。でも、まだネガティブコントロールを準備していなかったので、それを含めて改めて行い、相互作用する結果が真正であることが確認できて泣き崩れました。

2019年4月でした。

急転

3か月後の2019年7月に東京で国際ボルボックス学会がありました。

今回の論文の1stである、7年前の米国での元同僚であるSaがVSR1という遺伝子を発表しました。

正確にはそれ以前の時間軸で、前もって公開された要旨を読んだ瞬間、分子的な内実が伏せられた「VSR1」がどんな遺伝子なのか「見なくてもわかる」状態でした。

Saの発表が終わるやいなや、(当時の)元ボスのJimの所に歩み寄り

「Hi Jim、素晴らしい発表だった。ところでツーハイブリッドでMIDと相互作用する転写因子を見つけたんだが……」

そりゃ、もう、二つ返事で

OK. Let's have a chat! 「ちょっと話を聞こうか……」

でした。

この時点で日米のチームが同じ分子をやっていたのですが、興味深かったのは、お互いに出てたデータが被ってなかったんですね。

私はツーハイブリッドに成功していた。しかし、彼らはどう頑張ってもツーハイブリッドが失敗してしまっていた。

「なんで出来たのよ」

と聞かれたのですが、こっちとしては

「なんで出来ないのよ」

と言うしかない。

「え、マジ、どこ繋げたの?」
「全長」
「全長かーーーーー」

彼らはDNA結合領域であるRWP-RKドメインが保存されていたのでそこだけをつないでツーハイしていた。そして1年以上にわたって失敗を続けていた。

実はVSR1=RWP11という遺伝子は、7 kbにわたる長大なもので、保存配列部分を切り出してつなげることは、ツーハイのプラクティスとしてそれほど変なことではなかった。ただし、今回の場合は、どこで相互作用するかがわからなかった以上、全長を繋ぐ意義があった、ということでした。

20年ちかく研究やっててここまで面白い瞬間もそうそうありません。

それ以後、緑藻を扱ったデータは米国チーム、酵母は日本チームという形でコラボレーションが進みました。

VSR1を、「前から」と「後ろから」とで部分を落としたコンストラクトを10個ほど構築して、その共通部分から「VSR1は【ここ】でMIDと相互作用する」というところまで絞り込めた。

またそのVSR1相互作用ドメインをベイトにしたところ、VSR1自身とも相互作用する、すなわちVSR1がホモダイマーを形成することも突き止められました。

こうして先に書いた性決定システムに関するモデルを構築することができたのです。

データ量も質もSaのものが圧倒的なのですが、ささやかながらツーハイブリッドで相互作用領域を決定し、性決定システムの分子的な実体への証拠を示せたことで、更に一段良い論文にできたと自負しており、ありがたいことにequally contributionとしていただいています。

反省としては本来であればもっと早くに出せていた可能性はあります。結果は2年前に出ていて、投稿レベルクオリティのデータは1年半前でした。その前もちゃんと超速でやれていればという憾みはなしとしませんが、しかしながらこの間のコロナ禍の3年は非常に辛い経験でもありました。

2022年12月末に渡米して1月に現職にあって、2ヶ月ほどはいくつかの細々した解析をしつつ原稿の仕上げをしていたのですが、3月に入って発破がかかり、総力体制で原稿に取り組みました。ずっと「投稿3秒前(1インチ手前)」という感じで、その「3秒間(1インチ)」が永遠にも思えるような思いでした。

二百三高地

今回のVSR1の発見は、むしろそれによっていくつも重要なプロジェクトが発想できるという点で意義が深いと思っています。無限にアイデアが湧いてきますし、現在実際に進めているところです。

比喩としては適切ではないのかもしれませんが、かつて読み慣れた小説から、どうしても、日露戦争二百三高地を思い出さないわけにはいきません。

日本軍は旅順港を望む山頂の二百三高地を奪取するべく、陣を構えるロシア帝国軍に対して挑み、莫大な人命と引き換えにようやく達成しました。

戦争という比喩は物騒であり、眉を顰められるのかもしれませんが、個人的にはずっと、研究を戦争だと思いながら続けています。

相手は別の研究者ではもちろんありません。

研究とは、英語で言うところのignorance、いわば〈忘却〉あるいは〈無知〉に対しての最前線だという思いを持っています。

「視界がひらける」ということは、そのまま「どこを突けばいいかわかる」ということです。旅順港に停泊するロシア帝国艦隊の艦船の座標を指定すれば艦砲射撃で無力化することが期待される。

MIDとVSR1という遺伝子は、「オスとしての細胞(配偶子)とはなにか」「メスとしての細胞(卵)とはなにか」を決めるシステムの根幹であり、言い換えれば、眼下にそうした遺伝子群を一望する手がかりそのものでもあります。

まずはこれらがどのように精子遺伝子群・卵遺伝子群を指定しているのか(プロモーターに結合するのか)、そしてMIDの存在が指定をどう変えるか(プロモーター結合能をどのように変調するか)、ということが次の問となることは、京大のプレスリリースでも述べたところです。