職場の研究所で、千羽鶴を折った。
先月のことになる。
研究所に勤務するひとりひとりのメンバーの多様な文化的バックグラウンドを顕彰しinclusionする活動を人事課が企画した。
題してThreads of Culture 文化の糸であるという。
ウィークデー5日間にわたって様々な催し物があった。
ある日はアフリカの打楽器を使った語り部が研究所の吹き抜けでリズムを刻んだ。
またある日は世界各地の料理を持ち寄ったポットラックで長い列ができた。
このうち、一週間を通じてハンズオンする企画として設けられたのが千羽鶴チャレンジであった。
研究所の趣意書には、広島の被爆者・佐々木禎子が白血病治癒への祈りをこめて鶴を折ったエピソードとともに、研究所のメンバーの団結に向けてみんなで千羽を目指そうと書かれていた。
人事チームに日本人がいるかというとそうではない。
確認したことはないのだが、オンサイトで勤務する日本人は私しかいないのではないかと思う。
そして私も一介の、平ポスドクにすぎない。
「千羽鶴はオワコン」
「鶴を折る」という挑発に対する私の率直な気持ちは「えっ、折り鶴……」だった。
その時の私は折り紙ということをほぼ30年離れて生きていた。
折り鶴なんてもう折り方すらも忘れている。
対角線同士を十字に折るのか?
はたまた辺に並行して十字に折るのか?
覚えているのはなにか首を「クッ」と曲げることぐらいか。
もし急に正方形の紙を前に出されて「オマエ日本人だろ、折り紙折れよ、あくしろよ」と言われても、べそをかきながらただ正方形のきれいな紙をくしゃくしゃの汚い塊に換えて、嗚咽とともにその場に崩れ落ちるか、次の瞬間に逆ギレ激昂して相手の口の中にその塊を突っ込むかのどちらかの結末しかないのではないかと、非常に恐れていた。
30年の間にはいっぽうで、紙を自由自在の立体へと編み上げる魔術師のような人たちの存在も知った。
大学時代の先輩は飲み会の余興で適当な何の変哲もない紙を禍々しく蠕動運動をする旧支配者のようなものを作り上げてこちらのSAN値を易易と削った。
また、時折の大学祭の模様を伝えるツイッターには、折り紙サークルの目を疑うほどの作品がバズることもしばしばだった。
そんな人間たちの存在を知って、自分のようなモブが紙を折るなどという資格は持っていないと思った。
それ以上に、インターネットのひとびとが、悪しざまに批判し続けてきた様子が目に焼き付いているからでもある。
たとえば日本列島での生活は地震を前提としている。
その結果として定期的に震災が発生する。
311であり、北海道であり、熊本であり、数えきれない。
さらには台風やゲリラ豪雨・線状降水帯といった気象災害も常にリスクがある。
被災者への復興を祈る活動として千羽鶴が企画され、そしてそれを外野のインターネットの評論家たちがノーリスクフルボッコ甲子園しその他のインターネットの人たちも便乗し、正義感を満たす様子というのはもはや風物詩であるとも言えた。
マスゲームだとバカにするのは簡単だろう。
直近では、さらに、海外の事変の難に遭ったひとびとに千羽鶴を送るという考えに対してノーリスクフルボッコ甲子園を浴びせるという流れも容易に見出すことができた。
ひらたくいえば、折り鶴というものはもはや忌避・嘲笑こそされども、大人のポジティブな活動の場に持ち出されるものというイメージが失われて久しかったのである。
ただ、私の身の回りでそれに先立つかのように、いくつかの折り紙の流れがあった。
ひとつには、地域の公立図書館での折り紙教室である。
米国の公立図書館は公民館のように市民の活動を毎日のように開催している。
妻は子供を連れて日々こうした図書館を訪れて、子供のおはなし会(※英語)や大人同士の談話会(※英語)に参加している。
この結果、妻はメキメキと英語が上達している。
また、ママ友(※英語)も数名できているようだ。
この図書館で折り紙教室が開かれるということで、妻と子と私もある日参加した。
これはインド系女性の司書がマネージして、ちょうちょなどを折った。
アメリカ人の参加者たちはかなり苦戦している雰囲気もあった。
久しぶりだがとても楽しかった。
子供も喜んでいた。
後日、私は参加しなかったのだが、妻は別の折り紙を学んできて、子供に延々と作って見せていた。
もうひとつには、現在進行系で育てている小さな子供の(暇つぶしとは言うまいが)情操の活動のために小さな折り紙を与えていることである。
やはり自分にとっても折り紙は子供時代の活動だった。
切り傷はあるが、強度がそもそもないから、せいぜいが指に浅く切り傷が出来る程度だろう。
折り紙は、怪我をするリスクも飲み込んで窒息するリスクも相対的に低い。
とはいえ、さすがにまだ我が家の子供にとっては折り紙を自ら完成させることは高度すぎるため、大人が作ってみせている。
本人はもっぱら紙に落書きをしたり、思い思いに折ったりするばかりである。
当日
こうして迎えたThreads of Cultureの週は、ほんの少しばかりお祭りのような雰囲気があった。
私自身も、その前の週にプリンストン大への出張と発表、また論文の改訂済・再投稿を遂げて、少し開放的な気分でもあった。
打楽器を聞いたり、自分の名前のルーツを語り合うディスカッションイベントに参加したりした。
実験の合間に千羽鶴を折りに行った。
いうまでもないが、折り方の丁寧なインストラクションが書いてあったし、なんならステップバイステップで解説するユーチューブ動画を延々とループ再生していた。
そうでもしなければわたしも折れないし、未経験の人たちはもっと折れるはずがない。
俺TUEEE
正方形の紙を手にし、指南書の通りに半分に折ったとき、30年間眠っていた神経回路に一瞬で電子が満ち溢れた。
子供の頃、私の家にも、いとこたちからのお下がりで流れ着いた折り紙の折り方をまとめた本が一冊あって、よく作っていたことを思い出した。
その本のさまざまな意匠の折り紙には鬼のお面などもあった。
また、子供時代にはそれが何を意味するのかもわからない「ダットサン」なるものも作ってみたことがある。
そのように自分は息をするように折り紙に親しんでいた。
机上には、折り紙に不慣れな他の同僚たちが苦心して作り上げた作品があった。
それを見たとき、自分が「最初の村の村人A」「戦闘力5」だと思いこんでいたステータスが、実は「レベル99(アダマンタイト級)冒険者」「53万」だったことを悟った。
マトリックスで言えば、正方形のいろがみの上を「緑の文字が流れていくのが見えた」。
私は今も折り紙を折ることが出来る、と「わかった」。
千羽鶴と科学
充実感を覚えながら、一週間のうちに何羽も折った。
最初に対角線に折る時と、辺に平行に折る時の所作ひとつひとつに再習熟した。
折って、さらに折り込むときに折り目を丹念につけた。
折っていくうちに、「わたし」と「知性」と「折り紙」が惑星直列を迎え、わたしに折り紙を通して宇宙の知性が流れ込んでくるのを感じた。
それは幾何学であり数学だった。
アルゴリズムは厳格であり、最終ステップ直前まで折り目は完全に指定されていた。
しかし同時に、アート・芸術でもあった。
平面の幾何学的存在にすぎない正方形の薄い紙が、数分の間に立体としていきものを模していた。
アートでもありサイエンスでもある、そういう人間の知性の営みの「良さ」が手に触れていた。
折り鶴は折り紙のモチーフの中でも代表と言っていいだろう。
その意味を少しずつ理解していた。
対角に折ることも、辺に平行に折ることも含み、山折り、谷折りを経る。
ハサミもノリも使わない。
長さを測ることもしない。
ただ、折り目でできた辺を合わせていく。
この単純さは再現性を担う。
究極は最後のステップだ。
出来上がった鶴に、腹から息を吹き込むことで、それまでどうあっても平面であった鶴が立体になる。
ここに、日本人が共有するアニミズムを見ないでいるほうが難しい。
息を吹き込むとはそのままいのちをあたえることだ。
ここまできて、折り鶴を、ひとりでなく、たくさんのひとが折るということの意味に気がついた。
ひとりひとりの営みは単純で小さくても、合わされば大きくなる。
日本において折り紙というのは歴史的に、ごく限られた資源をベースに楽しむことの出来る遊戯としてあったのだろう。
だからこそそれを大きく積み重ねることを、健康や平和を願う気持ちのよすがにした。
しかしそれもいつしか失われ忘れられた。
おそらくそれはいまのアメリカだからこそ切実な意味を持つようにも思えた。
目の前にいる人のバックグラウンドはあなたが想像するものとは似ても似つかないかもしれない。
それだけ多様な、暗闇の中で踊りつづけるような社会だ。
しかしその、バックグラウンドが全く異なる人々が同じ目的を共有する。
それは12年前、大学院生のときにアメリカを訪れた私が感じた科学のほんとうのありかたそのものと重なって見えた。