殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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Ririkaの思い出:「はてなアイドル」の系譜

私がはてなを使い始めたのは2003年7月、はてなアンテナを作成してからだ。
(※ 以下の記述では多くのIDを列挙するものの、いま既に世に見えぬはてなダイアリーも少なくない。それ故、敢えてここにはIDリンクを張ることに消極的になっていることをご理解いただきたい)
ちょうどウェブログというものが、広い意味でのギークのみならず一般にも認知され始めた頃である。「ウェブログ入門?BloggerとMovable Typeではじめる【CD-ROM付】」という書籍が出版されたのが転機だったように思う。その後わらわらとブログ本は登場し、去年あたりでひと段落ついたようだ。コモディティ化というかインフラ化というか、つまり一般に受け入れられたと思ってよいだろう。
はてなダイアリーを使い始めたのは2004年の初めだっただろう。当時は「殺し屋鬼司令・絶滅学覚書並抜書」というタイトルだった。「絶滅学」というのは私の妄想上の学問である。一般的な絶滅を扱うextinction + -ology = extinxologyとして名づけ、関連する事項をこのブログに並べていこうと考えたのである。これが転じて、一部o=0, l=1, g=9 と変換してidのextinx0109yにした。誕生日が1月9日であるわけではない。
はてなダイアリーは、ご存知のとおり、キーワードで連携している。おそらく何かの哲学者のキーワードだったと思うのだけれど、そこで「ボストン在住の女子高生」としてえらく持ち上げられているブログがあるのを見つけた。idはRirikaだった。
rokaz/kanose/kagami/sivad/svnseedsが当時すでにいた。
いまは消えたが朱雀正道がいた。
荻上式はトランスカレッジだった。
dice-xがいた。hazumaがいた。gyodaiktがいた。
finalventがいた。
2chはすでに隠然たる勢力として闇から目を光らせていた。
千夜千冊は、記念すべき千夜目を迎えようとしていた。
そして、三中信宏がいて、私が引き寄せられた。

「リリカの仮綴じ〆」

ボストン在住の女子高生であるリリカはほぼ毎日ブログを更新していた。そして様々な話題で読者を楽しませていた。Google創業時に使用していたサーバを見に行った、ニューヨークの美術館でデュシャンの泉や村上隆ヒロポンを観た、千夜千冊の最後十冊を予想しよう、云々。時期としてはちょうど、長崎で小学生がカッターナイフで同級生の首を刈ったときではなかっただろうか。
若いながらに既にして人を楽しませる文章を書くことのできるこの少女は、また、取り巻きにも不自由しなかった。いまや「はてな村の村長」の異名をほしいままにするkanose氏のほか、おそらく当時まだ博士課程の大学院生であったsivadや、みずからの知的活動によってひきこもりの地位を全力で擁護しようとしていたueyamakzk、その他にも現在なお残るブロガーである rokaz/kagami/svnseedsらも既に多くの読者を抱えていた。このどのひとたちも、 Ririkaとコメント・トラックバックを通じて関わっていた存在として私が認知していったものである。もっとも、いまではkanose氏以外は観測頻度もめっきり減ったように感じる。sivad氏は今もホッテントリをときおり賑わせることがあるが、分子生物学者としての研究活動(おそらくポスドク?)で多忙なのだろう。やはり存在感は一時期ほどではない。あとの人たちが何のお仕事をしているのか私は知らない。
また、そのほかいわゆる思想界のスターにもRirikaは好意的に受け入れられていたようだ。当時は宮台真司の威光がまだ残存し、東浩紀hazumaもまだ売れっ子の名をとどめつつ、中央公論に「情報自由論」を連載していたり、「自由を考える」と題した大澤真幸との対談を出版していた。同時期、北田暁大gyodaiktが「責任と正義」を上梓した。社会学の西日が煌々と照りつけていた。東も北田も自分のブログをはてなダイアリーで開設し、そこで何回かRirikaの発言に応答したりしていたように思う。他に、成城トランスカレッジがあったり、あとやたらとルーマンを持ち上げたブログがあったりした。
私自身がRirikaの存在を重大視したのは生物系統学者/統計学者である三中信宏の日記を通じてである。ある日の三中師の日記に「ボストン在住の女子高生リリカさんから…」という記述を見つけ、私は嫉妬した。なんでそんな取り入るネタをテメエは女子高生のくせにもっているんだ、と。もっとも、その後は同じ生物学の中でも私は実験を奉じ、理論を主とする三中師とはある程度、道を異とすることになった。それでも私は学部時代の読書を通じて三中師から受けた学恩を今後も決して忘れることはない。
また私が極東ブログの著者であるfinalvent(終風)翁を知ったのもRirikaを通じてのことである。彼女の言によれば、finalventはてなに帰ってきた、とのことであった。終風翁はココログの「極東ブログ」とはてなダイアリーの「finalventの日記」の両面で、アルファブロガーとして絶大な影響を誇っている。はじめはてなダイアリーで書いていて、いったんそれを閉じたのか、ココログで書き始め、それからしばらくしてまたはてなダイアリーでも再び書き始めたという経緯だそうであった。私がRirikaを通じて終風翁を知ったのはこのはてなダイアリー再開の折だったのである。
私が今も覚えているRirikaの他のプロフィールは、兄がいて(たしか、おそらく)東大の理物に在籍しているということであった。計算してみると彼は私よりも少し上の学年であるように思ったので、理物の友人にそれとなく尋ねてみたりもしたが、同定はできなかった。また親も、作家か教師かは知らないがインテリだったのだろう、東京に滞在の折にはRirikaも親の友人であるところの文化人と交流した旨書いてあったように思う。
そんな有名ブログであったRirikaは、しかし、ある日一切のログを残さずに消滅した。2chはてな板等ではそれまでに何度もRirikaネカマ説が立てられた。ああ、きっことか、ヘルシー女子大生とかいたように思うが、それとあわせて指弾されることが多かったような、そんなあやふやな記憶がある。その後どう落ち着いたのか私は知らないが、検索してみるとライター誰某がRirikaの中の人であった等の説が出ていた。モデルは岡崎玲子だとか。むべなるかなとも思いつつ、実際のところはどうでもよい。この稿の論旨ともあまり関連しない。

はてなアイドルの系譜

リリカの頃はまだ、はてな村という蔑称は広く知られていなかった。そもそも株式会社はてな自体がそれほど有名ではなかった。まだ梅田望夫も「英語で読むITトレンド」の一アルファブロガーでしかなかった。その後インフラとして定着していくことになるはてなブックマークもまだなかった。近藤淳也がスターとして持ち上げられるようになったのは、(ある程度は悪名高き堀江livedoorのカウンターパートとして)「へんな会社」のキャッチコピーをおおっぴらに纏うようになった2005年頃ではなかっただろうか。
もっともリリカの頃であっても「村」的・部族的メディアの萌芽は既にあった。はてなブックマークの成功を「既にはてなにコミュニティがあった」からであると、設計者側であるnaoya自身が最近のインタビューで語っている。この部族的メディアについては私も最近「マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]」を読んで知り、目からうろこが落ちた。「はてな村」の命名者はマクルーハンを読んでいたのかな、とも思ったけれど、その人ははてなコミュニティを単に日本的な村社会の典型だと認識しただけかもしれない。
ともあれ、この「村」がはてなブックマークの開設とともに可視化された。そこでは既にリリカはいなかったが、べにぢょ、安全ちゃん、asami81と、今に至るまで話題の中心はつねに移り変わってきている。アイドルとはもともとそういう性格のものでもある。
この人たちについて私もそれほど張り付いて見てきたわけではない。はてブのトップページに時折名前が出ているのを見て知っているにすぎないから、非常に概括的だが、それぞれ固有の受容者層を持っているとは言えそうである。べにぢょは始めはブログでmixiを批判的に扱ってきたようだが、ここに至ってPHPを習得しはじめ、dankogaiとインタビューで馴れ合う(DANちゃん(はぁと))など、いわゆる狭義のギークへの認知を示している。anzenchanは自称オリーブ少女サブカルブロガーとして小沢健二を偶像として持ち上げ、YouTubeの映像などによって今年3月ごろ話題になった。ただし彼女については、特にYouTube映像に対して、オリーブ少女ってのはもっとチュニックを着てボディラインをぼかしているものであり、あれは単に顔がよくておっぱいを大きく見せたからウケたにすぎないとか、せりふが棒読みだとかいう指摘もある。一応ここでは彼女はちょっと思想がかったサブカル系青年に受けたということにしておきたい。asami81の受容についてはべにぢょとほぼ同じで、「最初に身につけるプログラミング言語は?」という「きみは夜何を着て寝るのさ」「シャネルの五番を着て寝るわ」的な的確な釣りで、はなっからギークというか男プログラマのブクマという小魚が大漁であるらしい。あるいは、オタク(サブカル)系女子高生ブロガーとして昨年の一時期有名になった「チャーチル」がいた。彼女は最近@eseharaのストリーミングラジオに出演していたが、観客のチャットも含めて非常に盛り上がっていた。

はてなアイドル・スター・有象無象の三角関係

私は妄想電波ゆんゆんながら或る一つの共通した構造を見てとりつつある。三角関係だ。しかし私はいまだ確証がもてないでいる。いずれもサンプル数が少なすぎる。

簡単に述べると、まずはてなアイドルはスターに擦り寄る。ただ、私の話の泣き所としては明確な存在があるわけではないということである。たとえばべにぢょは明確にdankogaiギークへの指向性を表明している。Ririkaもインテリたち・アルファブロガーたちに擦り寄っていた。ただ、anzenchanが明確に信奉しているのは、ある程度ネタとして小沢健二ぐらいのものである。「チャーチル」に至っては単にオタクがかった女子高生であるという以上の属性はほとんど無かったのではないか。
それでも私がおぼろげながらに感じるのは、彼女ら・はてなアイドルたちにコメントをし、意見を聞いてもらう有象無象たちの心境である。有象無象たちは「スターにあこがれるはてなアイドル」に掛けることで、自らをスターと妄想的に同一視し、承認の満足を味わう。ギークへの指向性を持つべにぢょやasami81に関しては「おすすめの言語はこれだよ」とプログラマたちが声を掛ける。もちろん中には本当のスターたちも混じっているはずだ。もっと明確なのは女子高生たちである。現代日本国にあって、高校進学率の高さはもとより、大学進学率に至ってすら約半数ということは常識となっているといえよう。ネット女子高生たちは学生生活のあれこれを書き綴る。勉強、恋愛、部活動、趣味が四本柱になるだろうか。特に勉強、つまり教育に関しては誰しもが腹にイチモツあって、いつもどこかで床屋政談に花が咲くという光景が珍しくない。こういうことを考え合わせ、有象無象たちが自分をスターに同一視するのを、はてなアイドルたちが媒介しているのではないか。私は冬頃からこの妄想に執りつかれてしまっているのだ。もちろん、これは自分が有象無象のうちのひとりにすぎぬという私の自己認識から出たものである。

信頼

要するに、スターにはなれなくても、有象無象という形でアイドルへ依存する姿勢を脱却して自立・成熟するためにはどうすればいいのか。最後に、ネットにおける人間関係と成熟という問題に関し、興味深い意見を参照しながら締めくくりたい。
「さいらと」という京都の女子高生が、高2の秋に授業で提出したレポートを公開している(大人になれない大人たち 〜誰も信頼することができない人々〜 - @sillat - はてなグループ::ついったー部)。イノセンス論として提出された「大人になれない大人たち」についての小論文は、なによりも彼女自身の読者を言い当てようとして公開されているのではないか、という妄想を私は拭い去れない。ざっくり言って彼女の論旨は、インターネットの上辺だけのコミュニケーションでは「誰も信頼することのできない人々」を生みがちである、ということになる。この意見の弱点のひとつは、担任が付したコメントと並んで、インターネット=表層というクリシェにある。リアルの付き合いでももともと「深い付き合い」というものはそれほど多くはない。例えば「リアルで俺は/私は友達百人いるけどネットではムリ」という意見には、心から祝福を捧げよう。しかし、その意見自身が目立つことで他の例を隠蔽してしまうため、私は眉に唾をつけて、心の中で(されど統計なくば論拠として未だ不十分なり)と呟くだろう。時々散見される気がする謬見が述べるような、統計とは平均化によって個別の意見を封殺するばかりの観測行為ではない。そうではなく、むしろ声高な意見のかげで無視されがちな意見をも個票としてきちんと認めたうえで次の行動判断への参考にしようという営みである。インターネットで信頼が築けないというのは未だ明確ではない*1
ここで信頼のためのガイドラインを思いつくままあげておこう。

  • まちがいはすなおに認めて受け入れる
  • ひとを無碍に否定しない
  • 疑うことを忘れないこと
執筆メモ

追記

早速id:kanoseよりトラックバックを頂戴した。感謝に堪えない。
私が彼を取り巻きの文脈の中で書いてしまった理由はたぶん、その当時すでに彼がブログを書いていたこと、彼を誰か別の取り巻きと私が混同してしまっている恐れ、それから「リリカさんがはてな退会 - ARTIFACT@ハテナ系」で私が現に彼を認知した、およそこの3点ほどに集約されると思う。すみません。ここに追記というかたちで訂正を表明しておく。
むしろ私は「ブログアイドル作法 - ARTIFACT@ハテナ系」のブログアイドルに関する指摘を改めて拝見して、さらにそこで言及されていた「アイドルは遠きにありて思ふもの - pêle-mêle」も読んで、自分の意見の大部分が激しく既出であることを恥じて顔が真っ赤になった。ひとえに私の観測範囲の狭さと、不勉強と、下調べの欠如とに拠るものである。ブログシーンにおけるアイドルについては、これらエントリも併せて参照されたい。
anzenchanについての的確な分析は多くinumash氏からの談話に拠るものである。ありがとうございました。

追記2

取り巻きという語は強すぎる、というkanose指摘は正しい。今後改めたいと思う。
そしてさらにまた私は捏造をしていたらしい。kanose同様、rokazもRirikaとは絡んでいなかったということだった。http://www.archive.org/でちらっと見たところたとえばa:id:rokazにはRirikaは入っていなかった。おそらく私の記憶違いである。たぶん「Ririkaを登録したアンテナにrokazも登録されていることが多かった」ということから彼女たちが同じクラスタだという私の意識が固定され、いつしかそれがやりとりしているという記憶の捏造に繋がったのだと思う。すみませんでした。あらためてここに追記というかたちで訂正を表明しておく。
asami81からもトラックバックを頂戴した。ありがとうございます。言い訳にしかならないものの、「執筆メモ」として公開したマインドマップ中で"**81"と書いたのは"asami"が思い出せなかったからである。なぜ81だけ覚えていたかというと私が82年生まれだからである(プロフィール参照)。すみませんでした。併せてここに追記というかたちで補足説明を加えた。
diary.yuco.netでリリカさんについて思い出すこといろいろと号して、十全な回想が綴られてある。トラックバックありがとうございます。私の歪んだ記憶とは違い、根気強くアーカイブにあたり、また他のサイトも参照しながらまとめられたすばらしいエントリで、熟練の技を感じた。だから、こちらをご覧になることを強く推奨する。

*1:インターネットで信頼ある関係が築けるかどうかは今後3年間で最もホットなテーマになるだろう。つまりインターネットの「向こう側」で金儲けができるかどうかということだ。金儲けは端的に信頼の上で営まれる。