現代用語の基礎知識2007をパラパラと

昔のこのエントリ以来ずっと、ケータイのTo-Doリストに「現代用語の基礎知識」というのが入れてあったんですよ。

東大式 絶対情報学という本で、「知恵蔵」「IMIDAS」「現代用語の基礎知識」みたいな本を通読すると頭がよくなると書いてあったので、今年は試してみようと現代用語の基礎知識2007を買った。

それを「紙メクリ」の威力を利用して一気に目を通しました。読んだとは言えないで、眺めた程度です。後半を「眺める」のに2時間ぐらいかかりました。「東大式…」の著者は、ノーベル講演を共著者に譲った南部博士:日経ビジネスオンラインでもおなじみの伊東乾さんです。
さて、2007年版ということは、2006年発行です。フセインも生きてます。当時、首相は安倍でした。水村美苗の騒動が坂東眞砂子の子猫殺しの時と似ている - 殺シ屋鬼司令を書いたのもこの眺望の流れです。
なぜ最新版ではないかというと、意地です。2年。ずっと、研究室のブックエンドを支えてきた力持ち、どすこい。
その後、知恵蔵もIMIDASも紙媒体では発行停止になり、いまや現代用語の基礎知識がラストマンスタンディングです。
いや、紙が良いんですよ。紙が。通読するためだけは、紙でないといけません。私は電子辞書の利点を高校時代から知っていますし(参照)、実際に非常に役立ったので「外国語学習には紙でないといけない」という意見を受け入れません(参照)が、通読するという目的のためだけに、紙である必要、ひとつの「実体」である必要が、あるのです。
坂東眞砂子もそうですが、振り返っていくつか興味深い項目もありました。

エスプレッソ屋が閉まったラウンジで、私は現代用語の基礎知識2007のページを読むでもなしにただ捲っていました。斜め読みしたとすら言えない、眺めたというのも言い過ぎで、ほとんど「捲った」だけの状態です。
「1,600ページをただ捲るってのはどういう感覚なのか」を覚えたのはとても貴重です。どこにどれだけのボリュームの知識があるのかを体感するというのは、私がやった中では「図書館/書店に毎日通う」ことで頭の中に書棚のマッピングをして「記憶の宮殿」のまねごとに似ています。
先輩*1は、私がちょっと生物系のことをウィキペディアで検索して「ウィキペディアにこう書いてありますね」というと「ああそれぼくが書いた」ということが多々あったほどのウィキペディアンでいらっしゃいましたが*2、私が2006年当時「来年(つまり2007年)は現代用語の基礎知識を通読します」といって研究室内で「馬鹿じゃねえの」という声を一身に浴びたときに、先輩は高らかに「現代用語の基礎知識は通読するものです。ぼくも高校時代に読みました」と仰いました。で、結局私がやったのは「通読」までも行かない、ただ捲るだけ、しかも2年越しという残念な事になりましたが、とにかくやりおおせました。
一日10時間以上読書にあてて精神の健康を自ら窮地に立たせていると自ら得意がるのもその意気やよしといったところですが、「現代用語の基礎知識」を気楽に眺めて気楽に捲る、指サックを使って、というのも悪くはないですよ。

*1:以前に研究室にいらしたポスドクの方。

*2:あるときなどは、自分にとってウィキペディアの執筆は実験ノートを書くのと同じである、実験ノートを書かないのは生物学者として失格である(だから私はウィキペディアを書く)とまで断言したほどの豪傑です。