殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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『人生がときめく片づけの魔法』のほんとうにスゴい内容について

2012/11/19追記:本記事は、2010年刊行の『人生がときめく片づけの魔法』(1)に関するもので、続編で2012年刊行の『人生がときめく片づけの魔法2』は扱っておりません。

長年の友人が「成功者というのはこの人の事をいう」と評していた、近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』をiOSアプリ版で読みました。この本は面白い。ひとことで言うと

ガチ

2ch風にいうと、2レス目に思わず「マジキチ」って書かれるレベル(もちろん、いい意味で)。
読んでいるさなかから、記述が詰まっていることにおどろきました。膨大な片づけ指南経験の具体例にリアリティがある。ありきたりな叙述で流していく凡百の指南書ではない。たいていのハウツウ本にかぎらず、世に流通しているノンフィクションは一般に、通説を紹介しているうちにいつのまにか、びちゃびちゃの薄い記述になってしまうのに辟易していました(それでページ数は稼ぐので分厚くなる)。でもこの「片づけ」本は、ひと味違いました。
この中で紹介されている「靴下は巻いてはいけない、折り畳め」というくだりまで来て、物凄いコスモを感じました。こんなこだわりが……でもそれが実に的を射ている。そして、ところどころ、「トスッ」と主婦の心の臓を一突きするフレーズが混じっている。マイナスイオンとか。そういうのは私でも「クスッ」という冗談として流せるレベル。読者のフックに語りかけながら、引き込んでいく手腕が見事です。
実は以前から別のブログで、リバウンドしない片付けの手順として紹介されているのは知っていたし、そのまとめがとてもまとまっていたので、それでいいかな、本は読まなくていいかなと思っていたんだけど、iOSアプリが800円程度だったので、読んでみたら、面白いこと。TV番組で紹介されて社会現象になるのも頷けます。自分で見てみなければ、その真価を感じられなかっただろうなと思います。
「いざ本腰を入れて読み解いて紹介したい!」とまで思えるようになった理由というのは、この本を読み進めるにつれて、以前友人から教えていただいた齋藤孝『坐る力』に共通する突き抜けた感を覚えたからなのです。
その点は、買わなくても、書店で手にとって見てもらえれば理解してもらえるのではないかな、と思うのです。
私はそういうわけで一気に読み終わってしまいました。
「風呂場のシャンプーボトルは風呂から上がったら水滴を拭って風呂場の外の棚に保管して水垢がつかないようにする」というのを読んだあたりで爆笑しながら謎の感動を覚えました。
実はこれ、自分の価値基準を涵養しなさい、という本なのですね。価値感覚を自覚しながら鋭敏になっていくために、片付けという生活習慣が、効果も目に見えるし、やった方がいい度合いは高いし、日々のトレーニングとしても分量が十分ある。家の中のモノは、増えたり減ったりする。いちど大掃除をして片付けても、継続的に対処する必要がある。それは敢えて言えば「動的平衡」だから、常に意識的に対処する必要が出てくる。だから、継続的なトレーニングにもなる。
つまり、

a. 祭りとしての大片付け
=ブートキャンプ

b. 日々のメンテナンス
=定期トレーニング

ということで理にかなっている。

この本、8割方は、著者による自他の圧倒的な片づけ経験に裏打ちされた合理性が支配しているのですが、あとの2割は、謎の宗教者的な、カルヴァンみたいな執念をビンビン感じる。
つまり、もしこの本を単に「スピリチュアル主婦に向けた、オカルト本(だからダメだ)」と(「理系人間」的に!)排除するなら、その人はこの本を何も読めていない。
私はけっして穿った見方も斜に構えた態度もとってはいません。そうではなく、第一にこの本が「第一に『乙女』のために書いてあって、私(のようなむくつけき下郎)のために書かれていない」(それでも読めるし役に立つ)という位相差から必要以上のことが読めてしまうんです。
表面的にはスピリチュアルな表現がしてあるかもしれない。ですが、1枚めくってみると、片づけとその周辺の行動、それ自体には合理性がちゃんとある!「価値観の涵養」ということも含めて、です。しかし、私はさらにその奥に「カルヴァニズム」とでも評すべき何かを嗅ぎとっている。
私の読みがきちんと中っているかどうかはともかく、それを表現してみるとすれば、……あまり誤解を招きたくない*1のでぼかして書きますが、とある列島に育ち、暮らしていくための方法論とは何か、それを持続可能に形成するためにはどうすればいいのか、先人たちはどういう方法をとっていたか、そこからどうまなぶのか……著者なりの答えなのだと思います。
この本の中でひとつの理想としてあげられている「神社」が象徴的です。神社は祭事の場として、つねに整頓されている。それだけであれば簡単ですが、もう一つ、神社といえば私のあたまには常に(伊勢)神宮のことがあります。伊勢神宮式年遷宮という巧妙なビジネス戦略をとりつつ(ええ、ビジネスです)、まさに持続してきた(とされている「神話」を持つ)。伊勢神宮の「仕組み」は、「片づけの魔法」書とも通じるコンセプトをまさに持っています。
この列島にあって、決して強固で巨大な家を建造することは合理的な戦略ではなかった。このことはこの半年で誰しもわかるはずなのです。悲運な多数死さえ稀でない、高いリスクを孕みながらも、面倒な四季という寒暖の激しい気候を生き抜いて、常にゆたかなリターンのあがるこの列島にくらす歴史が、現実としてあったわけです。わたしたちはどうしたって春夏秋冬を同じ服を着て乗り切ることはできない。そうすると、それなりに多様な服をもって四季の移ろいを迎える必要がある。衣替えをする。その裏で収納の要請が急務となる。しかし家屋は広くない。ときどき災害で家が壊れるから堅固で巨大な家は合理的ではない。家具を置くと寒暖の差を乗りきれない。
こういう、「無理なんじゃないか」という制約を満たしながら、できるだけミニマルなシステムを構築するというのは、この列島に暮らす、ひとつの条件だった、われわれはあらためてそれを再評価する必要がある……ここまで来るとやや強引ではありますが、私はそのように「片づけの魔法」を読みました。*2

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

もしくは、iOSアプリはApple storeページ
追記:大掃除の季節柄、「UNIQLOの古着回収」 http://d.hatena.ne.jp/extinx0109y/20110306/1299413788 もよく読まれています。

*1:「何々主義」とでもいえばとおりはいいのでしょうが、そう書きたくないのです。

*2:この類の本ではゴーストライターの手になることは珍しくないから本人が取材を受けてゴーストライターが書いたかもしれないと思っている。それくらい「乙女」向け実用書として手練れている。本人が粗方書いたとしても編集者がかなり手を入れてるかなと思う。もし本人がほとんど書いたなら天才だろう。