殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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書きたいことは多いが書けることがあまりない

なにかそういう難しさとともに日々生きている、ということを思っている。毎日、いろいろなことを考えたりやったりする。しかし、それを書くことに差し障りが各方面にあって、なかなか書けないまますぎていってしまう。そうすると、また新しいことが出来する。

それでも何か書いておきたいと思ってはてダに戻ってきて欄を開きながら、今そのことを文字にして並べていっている。

一番書きたいことは、自分が「落ち着いている」ということだ。

落ち着けるようになったということではなく、たまたまタイミング的に落ち着きが瞬間的にあったということだ。

なぜ落ち着いたか? 7月以来のコロナ第二波(らしきもの)が落ち着きを見せているということ、そしてそれ以前に季節が移ってだいぶ涼しくなり、家庭生活の変化も落ち着いてきたこと、そういういろいろな事があって、本を読んだり、ブログを書いたり、ということに意識が戻りつつある、ということだと思う。

Twitterは見なくなり、コロナのニュースも見ないようにするようになった。新しいことがないからである。本当に、新しいことがない。

このところ眺めていたのはインテリアとDIYに関する書籍とウェブサイトだった。こんまり本を読み直したりしていた。ミニマリストの生活を紹介する本も何冊か眺めた。

ミニマリストというのが、所有物を減らしたり、活動を減らしたりすることだとするなら、それに関連する本を何冊も読むことは矛盾ではないのか、と思ったりもした。ただ、それは必ずしも矛盾ではない。生活のイメージができるようになるためにサンプルをいくつか比較することはむしろ有益でもある。

図書館の利用を増やそう、ということを、思っている。通勤路のどの図書館を利用するかということを、思う。自宅から一番近くアクセスできる図書館か、通勤路の定期券区間のうちで駅から最も近い図書館か、それとも同じ区間で特急停車駅の図書館か、……と考え始めるとキリがないので、結局生活の中で一つ一つ掴んでいくしかない。

落ち着きまでの中で、万年筆の生活はしばらく止まってしまっていた。万年筆もまた、落ち着きが必要な文房具であった。