講義は生物学全般について語った。
生物学全般というのはほんとうに全般だったから、古生物学のような話を第一回講義で扱った。
話す内容をいろいろと考えていたのだが、やはり自分自身が驚いたことをちゃんと語るということをこころがけた。
この2・3年ほどは、自分の研究がひろがり、以前は藻類しか扱ったことがなかったのだが、陸上植物も研究していた。
何が違うのか? ぜんぜん違うのである。
まず目に見える。そんなこと? そんなことということではない。大きなことだ。目に見えるということは大きいということである。
陸上にあがった植物は大きい。目に見える。
陸上植物として最初にあらわれたのはコケで、そのなかからシダが出てきた。シダのなかから裸子植物があらわれ、さらにその裸子植物のなかから被子植物、つまりわれわれが花として見る植物があらわれた。
さて本題はここからである。
わたしはときどき、窓のそとを眺めながら、この風景はひとの営みが高まるまえはいったいどのようなものだったのだろうとかんがえることがある。
わたしが生活している関東であれ、先日まですごした京都であれ、もともとはなんのかんのと藪がひろがったり、林がひろがったりしていただろう。
そしてそのなかに生態系があって、動物の食物連鎖があったり、菌類・微生物の分解が行われたりしていたと思う。
さて、その生態系は「いつから」あったのだろうか?
いま見ているその土地に、ということではない。
あなたがおよそ空のもと、ながめている陸上の風景としてあたりまえに思っている「緑の」視界があたりまえになったのはいつか? ということだ。
その答えを植物学者は知っている。
それはシダ植物以後であるといってさしつかえない。
シダ植物は維管束を有している、というのは、ずいぶん幼いころの理科の授業で聞いたことがあるだろうと思う。
この維管束こそが、われわれの見る地上の風景を作った本質である。こんな細い筒が、と思うだろうか? しかし、これが地上を決定的に変えたということに、議論の余地はもはやあるまいと思われる。
維管束をもつ植物は根またはそれに類するもので水分を獲得して、維管束を通じて水をからだじゅうに供給する。
このはたらきがあってこそ、陸上での植物体は巨大になることができた。
ここまではとりわけ驚くことでもない。
しかし、いちど「じゃあ、その前は?」という思考に切り替えたとき、あるところであなたの視野は、ふいに暗転する。
その前というのは、コケ植物がいたんでしょう、ということだ。それはまちがいないのだが、ことはそれほど単純ではない。
あなたは、どこでコケ植物をみるだろうか?
たとえば森を散策していて木陰や樹皮にコケ植物がはえているのをみるかもしれない。
あるいは家の裏のちょっとじめっとしたところだろうか。
いずれにせよ、コケ植物は維管束がなくて、水場からそう離れては茂ることが出来ない。
「水場から遠いところでも、樹の下にあるでしょう?」
なるほど。
では、まさにその「樹木」が登場する前は、コケ植物はいったいどこではえることができたのだろうか?
樹木というのは、維管束植物そのものである。
わたしはさきほど、維管束植物の登場する以前をかんがえようといった。
そうなると、われわれの経験はほとんど役にたたなくなる。
まず、草も木もはえない大地をおもいうかべる。ひとまず、マッドマックスだ。グランドキャニオンのようなところでもいいだろう。
そこに、ちょっと水たまりが一時的にできたとかんがえる。
水たまりから水がながれていく。
こういうところで、コケ植物がどこにはえているか、とかんがえる。
当然、水場のそばである。
しかも、おそらくはあまり日の当たらない、地形の隆起のかげになっているようなところだったとかんがえるのは自然だろう。
それ以外のところは? すこしむずかしそうだ。
「むずかしいといっても、なにかいたでしょう。カビとか……菌類が」
実際、地球上に最初に登場した多細胞生物は菌類だったのではないか、と、かんがえられている。
しかしそもそも菌類がなにをもとめて陸上にいくか?
分解者である菌類はその本性からして、死骸などの有機物のあるところにはえる。
では、水のないところに有機物があるか?
ないのである。
「動物の死骸も?」
当然、ない。動物が陸上にあがるのも、やはり餌としての植物をもとめてであるとかんがえるのが妥当だが、そもそもその植物が水辺にしかない。
あなたは日本や世界の地図や歴史をながめながら、都市がいかに川沿いにさかえていたかを目の当たりにしたことがないだろうか?
大地が緑となるとき、起きていたのは、それとまさに同じことだった。
(続く)