今週は少し研究が止まった。止まっているというのは新しいことがどしどしわかるようなことがなかったことを言う。先週までの状況がちょっとイレギュラーだから気にする必要もないのかもしれない。具体的には先週までにわかったことのひとつをワードに原稿っぽく書きくだしている。色々出てくるがどうまとめたらいいかははっきりしない。関連する文献をPaperpileで盛ってみる。意外にたくさんあって怯む。もう少し腰を据えて取り組んでみる。
実験のほうも待ちフェーズだが、どうも途中経過がはかばかしくない。具体的にいうとネガコンが出てくる。出てきそうである。また練り直しかと思う。というより、一発でうまくいくことの方がイレギュラーなのではないのか。だからこれも少し食らいついてみたい。
二週間後に……二週間後から、ビースターズの読書会をする、ことになった。ビースターズを読んで、社会的分断について考える。英語で。おそらく様々なバックグラウンド(文化・人種)の参加者と。1時間X四回のセッションで、そのファシリテーターをする。……我ながら正気かと思う。書き捨てのブログじゃないんだぞ? だがこれも考え直してみると、米国の大学教員ジョブマーケット活動で「DEI STATEMENT」なるものが要求されることがあるが、それのネタとしてうってつけなのではないかということも思う。というより、皆様、様々な活動に邁進するのはそういうことなのかなという気もする。
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子供を家庭で育てるということはタフで、色々なことを思うが、いましっかり向き合わないと後悔すると思いなおしてしっかりやろうとしている。研究はわたしでなくてもいいが、しかしながらわたしの研究はわたししかいなくて、わたしがやらなければ誰もやらんだろうと思う。そこまで考えてすぐに、そうじゃなかったのが前の話だったよな、と思い直す。ギリギリのところでお互いのデータが相補的だったという首の皮一枚の話だ。そして家族にとっては私は私しかいない。これは確定している。だから難しいところがある。
チャットGPTについての本を読んだので書評を書こうと思っているが、上記で首が回らない。
こういうのは鮮度が大事だと思う。チャットGPTをどう使うかという話ではなくて、どう動いているかという本だ。著者は情報科学・自然言語処理の分野で30年弱の経験のある、今も最先端にいる本当の専門家で、キーポイントが押さえられている。わたしが書評書こうとモタモタしている間に読んでもらうほうが早い。