殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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タンパク質予測構造モデルを眺める|Twitterの終焉が自分に追いついた

おもちゃ箱

数年前にAlphafoldが公開されてから、タンパク質の構造予測の精度が格段に上がったらしい。私も何度か自分のやっているタンパク質を入れてみたりしたのだが、見方がよく分からなくてあまり踏み込めないでいる。構造生物学はわかってるひと、「通」のひととやらないと無理だなと思う。このへんは京都の割烹のようなところ、グルメと同じで、とにかく、通のひとと歩かないとその視界を得ることができない。自分ひとりで飛び込んでみてもよくわからないままだ。

そうはいっても単純に立体構造をぐりぐりと回してみるのは楽しい。なにかわかるかもしれないという期待だけはふくらむ。最近では、データベースに登録済みのアミノ酸配列である程度の長さ以下のものについては、Alphafoldが予測した立体構造モデルがEMBLのデータベースに登録されていて、それをダウンロードしたり、UniProtのデータベースのプロファイルページで見ることができたりする。そういうところで見ると、これまで想像していたものとぜんぜん違っている。

そういう立体構造モデルを、子供が木琴をたたきまくる横でMacBookでぐりぐりと回していると「なにしてるのー???」と言われる。「おしごと」と言ってぐりぐり回し続ける。子供も大人もなにもわからないまま遊ぶ。

Twitter

Twitterが使い物にならなくなっているという声が聞こえてくる。私は2ヶ月前にTwitterをログアウトしてから、告知以外ではログインしなかったので、そうやってTwitterが利用できなくなる前におよそその状況について既に慣れていたともいえる。結局はTwitterも一企業のものであって、自分がとやかくいうことでもない。また、もう私はTwitterであがっている話題についていくことはできないだろうと思う。

いま思い出してみれば率直にいってもう自分にとってTwitterを耐えることができなかった。もう自分はTwitterには関係がない。したがってそこで話題になっていることも自分には関係がない。自分の生活においてTwitterの占める位置が大きくあるべきだと思えない。そう考えるためにTwitterを離れた。乗り換えるということはない。乗り換えるというならブログに戻るということで、このエントリはそのトライアルでもある。

私はTwitterの終焉に対してひとつきほど先行した。先週告知のために戻ってみるとタイムラインや「おすすめ」は相変わらずで、個人的なお気持ちの表明とそのお気持ちが間違っているとか間違っていないとかいうお気持ちが涎涎と続いている。ふとそれを見た時にまた自分のお気持ちが湧き上がってくるのを感じる。懐かしささえ覚える。その涎の本流がTwitterだったと思い出す。