矢のように過ぎる時間
すれ違うベビーカー上のゼロ歳児を見て、我が子もああいうときがあったな、あっという間だったなと思う。
我が子はもう、あの頃ではないんだ、と思う。あの頃はむしろ、職場近くの保育園から保育士たちに連れられて歩く子供たちと我が子のことを比べて、我が子はまだあれほど歩かない、と思っていた。
子供の印象はほんの1ヶ月や半年でガラッと変わる。
写真を時系列に見比べてみても、連続性があるいっぽう、大きく変わっていっている。
子供があのとき着ていた服はもうとっくに着られなくなっている。
わたしはどういうわけか15年前に買ったコートを着ているし、20年前に買ったGジャンを着ている。
40年前のビデオ
子供の記録といえば、小学校に上がる前の私を映したビデオがある。
私が近所に咲いている草花を指してその名前を言っている。
まだ純真なままの笑顔の子供だった。
撮っているのはまだ家にいた父だ。
時々私に話しかけているのが残っている。
うしろのほうでは、当時家にいた猫が歩いていたりする。
小学校入学は昭和から平成への改号と重なっている。
だから、その映像は、2つ前の元号の昭和であるということになる。
それを撮ったのは肩に担ぐような巨大なビデオカメラだった。
会社は覚えていないが、VICTORだったような気がする。
この形だったかもしれない。GR-C1という機種だ。ひょっとすると後継機種かもしれない。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では主人公マーティが小道具に使ったらしい。
カセットは、下駄を履かせればVHSビデオデッキで読み込むことができるタイプだ。VHS-Cという規格のようだ。
我が家のこのカメラは壊れていた時が多く、実際に稼働したのは数えるくらいだったのではないかと思う。
そのうち誰も見向きもしなくなり、いつしか廃棄されただろう。
もったいないことである。
きっと当時、ビデオカメラの値段はそれなりのものであったはずだ。
GR-C1は28万8千円となっている。
当時の大卒初任給が13万5800円だという。
いかに高価な買い物だったかがわかる。
父はその当時、地方の音楽興行に携わっていたので、そうした業務に使っていたのかもしれない。
だからたぶん子供の成長を残すために買ったわけではないと思う。