殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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「どうしてスムーズに子供にごはんをあげられるの?」

妻から「あなたはどうしてそんなにスムーズに子供にごはんをあげられるの?!」と聞かれた。「同じモノを、同じ匙であげているのに」と。

どうしてわたしはスムーズに子供にごはんをあげられるのか?

わたしが子供にスムーズにごはんをあげているとしたらどういうことか?

10秒ほど、目をつぶって考えた。

まず間違いないことが、ひとつ浮かんだ。

おいしそう

私は、自分が子供に対して与えようとしているごはんを「おいしそう、あわよくば自分が食べたい!」と思っている。

要するに、私自身がくいしんぼうだということだ。しかし、自分のなかに厳然としてある。

ごはんを子供にあげるタイミングは、自分たちが食事をとる前であるときもあるし、後のときもある。

自分が食事をとる前にごはんをあげていると、とりわけ「食べたい!」という気持ちが強くなる。

子供の食事はうすあじで、スパイスというスパイスもほとんどない。

それでも最大のスパイスである空腹を盛られた大人にとって、目の前に光り輝く白米は容赦なく突き刺さることとなる。

茹でたトマトの湯気が鼻をくすぐるごとに衝撃がある。

態度が伝わってしまう

そうした単純な食欲が、態度に現れずにいることはおそらくむずかしい。

もちろん子供は何も言わないのでわからない。違うとすれば何か非言語的なサインとして伝わっているもののはずだ。

妻はごはんをあげるときによく語りかけている。

「おいしいよ!」「ホカホカだよ!」

それでもスムーズに食べないことも多い。

私は無言なのだ。

「………」

それは、頭の中が「おいしそう……」というお気持ちで満ちているからだ。

そこに妻から「ちょっと! もっと語りかけなさいよ!」とスパンキングされるほどだ。

しかし、私は忙しいのである。

己の精神の中で自分の食欲を抑えこむことに忙しい。レスリングをしているのだ。

別にこれが、何かのエビデンスとかに基づいているわけではない。

ただ、育児においてたびたび言われることのうちに、こういうことがある。

「親に『やれ』と言われたことを子供はやらない。親がやることを子供はやる」

そのようにして、親である自分の態度が、子供に伝わっているということなのかもしれない。

たべやすくする

もちろん、やることはちゃんとやる必要がある。

たとえば、適切なサイズに細かくすることだ。

うっかり子供に大きめの塊を与えると、咀嚼したり飲み込まないで吐き出そうとする癖がついた。

特に卵焼きなどでも、大きめのものだと吐き出すことがおおい。

一方、大好物のバナナだと、相当おおきな塊でもモグモグとそのまま食べてしまう。

おそらくは、なめらかさとか、硬さとか、水分といった食感が関与しているのだろう。

バナナやチーズのようになめらかだったりぬるっとした食感のものは大きくても食べてしまう。

一方、卵や肉のような、硬めの塊は少し大きいと吐き出してしまうということがある。

だから、赤ちゃん用のフードカッターやスプーンで小さく切ってやる必要がある。

(追記)

子供が2歳半を過ぎ、完全な料理を食べるようになっても、「好きなものは大きくても食べる、そこまで好き好きじゃないものは大きいと拒絶する」というのはずっとあります。

硬さのうえに、やはり普通に大人が食べる料理に近い状態のものを一緒に食べるので、ときどきちょっとまだ熱いときがあります。

味噌汁のおとうふなどは大人でも結構「あつっ!」となることがありますね。

子供なら余計にそうです。

ちょっと食べづらそうだったりハンガーストライキするときは、冷ます、切る、子供が落ち着くまで待つ、ということがキモになります。

こうした工夫をしながら子供に腹いっぱいごはんをあげることが、栄養補給滋養強壮、成長の礎でもあり、これは夜中に起き出して子供が泣き叫ぶのを防ぐ上でも重要である。

家内安全の礎でもあるといえる。

thinkeroid.hateblo.jp