殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

MENU

ハゲタカジャーナルの問題の根幹は研究が「三店方式」だということ

毎週金曜日には隣の研究室との合同lab meetingがあるのだが、今週は隣のPIが引っ張ってきた東欧の研究者のリモート発表だった。10分ほどトラブルシュートのあとなんとか発表があった。ただ、杳として内容が掴めない。何を見たらいいのかよくわからない。どう理解したらいいのかわからない。しかたないので、その発表者のプロフィールを検索して発表論文を開いた。

論文は、ハゲタカジャーナルを出しているという世評で著名な某M社の雑誌に出ていた。今回の告知のメールにもそういえばその論文のリンクが貼られていたのを後から思い出した。そこにそのMxxxで始まるドメインが入っていて自然に目が滑ったのだった。そういう、リンクとしてクリックするかどうかを判断する以前の問題でリンクとして認識することがないドメインのリンクというのがある。

オープンアクセスであることはいい。HTMLページをそのままDeepLに食わせて何のアタマも使わずに概要を見て取れた。そうして発表だけでなく原文を読んでみても、論文として何がいいたいのかよくわからない。最後に主張していることがどういうことなのかもわからなかった。そうしてだんだん、これがマジモンのハゲタカ論文なんだということを悟った。

その上で驚いたのはその雑誌がIFが7.6もあることで、ひと昔前ならちょっとした存在感の論文誌だったはずだ。

ハゲタカ雑誌の特徴としては投稿料ビジネスで、そのぶん査読がおざなりになるため投稿から出版までノータイムで行われるということがある。経過を見てみると、4月中旬に投稿されたものが5月中旬に改訂されてその後すぐ受理のように書かれている。判断は難しいところだが、これでは私はあまりまともな査読がおこなわれたという確証が持てなかった。

ハゲタカジャーナルという営為が問題になるのはいくつもの側面があるだろう。まず出版社がハゲタカで、まともな査読をせずに論文を受理して研究者から掲載料という利益を貪る。オープンアクセスであること、あるいは購読料高騰自体は、問題の前提のひとつではあるだろうが、私はそれはミスリーディングだというふうにかねてから思っている。「論文を出してお金をもらうのではなく、金を払って論文を出すのか?!」という声が学生から上がることがしばしばバズるのを20年私は定期的に目にしてきたが、それもまたこの問題とは違うと思っている。風物詩のようでもはや何かを考える意欲も掻き立てない。

例えば私は以前からPLOS ONEもScientific Reportsも「ハゲタカ」ジャーナルではないという意見を持つ人間で、それは今に至るまでほとんど揺らいでいない。一方でM社やH社、I社というところからはハゲタカジャーナルと認定されても仕方ない論文を出す雑誌があるのではないかと疑っている。それが、ハゲタカジャーナルという話題をおよそ研究者として聞いてきた同時代の研究者の肌感覚である。もちろん見識の浅さの指摘は甘受する。

thinkeroid.hateblo.jp

最近でも科学技術・学術政策研究所がハゲタカ学術流通問題を取り扱っていた。

www.nistep.go.jp

念のためにリンク先が消えたときのためにPDFへのDOIリンクも貼っておこう。

doi.org

結局のところこれは三店方式だということをどれだけのひと、研究者が理解しているだろうか? 三店方式とは、遊興としてのパチンコ業が「賭博ではない」という建付けを取るために伝統的に行われている方式だ。プレイヤーが玉を買ってジャラジャラするパチンコ店、集めた玉を景品に交換してくれる景品交換所、景品を買い取ってお金をくれる景品問屋の3つの店をプレイヤーが巡回するということで「三店」方式と呼ばれている。

研究が三店方式で回っているということはつまり

  1. 研究者は研究機関から雇われて研究する
  2. 研究者は研究成果を雑誌に論文として発表する
  3. 研究者は出した論文のリストを資金提供機関に提示して競争的資金を獲得する

ということだ。ここで3つの機関(店)が関与していることに気がつくだろうか。そしてまた、職・ポジションを得るということもまた完全に同じ話だということである。

三店方式がダメかどうかは意見の分かれるところだろう。もっと直接的であるべきというひともいるかもしれないが、私はあまりその意見に加担しない。大事のはこの構造を把握することであり、その構造に対してハゲタカジャーナルがいかに破壊的であるかを理解する必要がある、ということだ。

どうあるべきかという議論は各々進めると良いと思うが、こうやって書いてきて、不安定な研究者の身の上で率直に思うのは「ハゲタカジャーナルそんなに儲かるのか……」ということだ。「Breaking Bad」や「いつだってやめられる」が自分のひりひりするような肌感覚として常にある以上、「研究よりハゲタカジャーナルのほうが儲かるのでは?」と考えてしまうのをもう一歩進めて「いっそ自分たちで運営したらいいのでは?」と思わないでもない。研究者の研究者による研究者のための雑誌ということだ。

そういう話もこのハゲタカジャーナル問題を考えた研究者ブロガー・ツイッタラーのきっとサンオクニンぐらいが考えてきたのだろう。このようなアイデアを得ただけでも1時間ハゲタカジャーナル論文研究発表を我慢して聞いたモトが取れたのではないかと考えておく。