反物質みたいなものか。相補する情報と出会うと高エネルギーを発して消滅する。
反物質下人というのを考えたのはタケヒロであった。
- 作者: 赤木昭夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/11/07
- メディア: 単行本
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情報という概念が生物学でも物理学でも現れるようになったのは「多重比喩」であり、修辞学的には許されないことであるという。残念なことに私は修辞学を修める機会を得ることがなかったので、この指摘は貴重である。ただし、以下の記述を見るに及んでは、それを吟味する気力も失せようものだ。
第一に、核酸の三種類の塩基の並びが単語で、それが書かれ読まれ編集されてできたのがゲノムで、テキストとしてゲノムを読み解くことが生命の解明であり、それが分子生物学の指導原理とされた。
(pp. 51)
どことは指摘しないが、これは些細な間違いではない。「ただのバカ」と言ってしまっても私はなんら悪いとは思わない。赤木昭夫、1932年生まれ、「生命をみる―分子と生命の化学」というような訳書(未見だが、塩基が何種類あるか知らなければ、当然訳せないだろう)までありながらこの有様は、まさに老害だ。「心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く」の方々の師匠だそうだが、よくぞ師匠より支障を受けなかったものだと感服いたしたしだいである。
(追記) 「心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く」にはアマゾンでh.yamagataのレビューがある。
そして最終的には、脳科学を通じた管理社会批判。結局はこれまでのラッダイト科学批判とまったく同じ。
すばらしい。同じことが「反情報論」にもそのまま当てはまる。その意味では、師匠も弟子たちも変わらない。