殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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ウィ・アー・ザ・ワールドを知った頃

1985年、アメリカのポップ音楽スターが集結して、アフリカ飢饉のためのチャリティ・ファンドレイジングのために「ウィー・アー・ザ・ワールド」という曲をレコーディングした。
曲とその由来をはじめて知ったのは、中学校の時だったと思う。音楽の時間に、若い教師がレコーディングの模様を追ったドキュメンタリーのレーザーディスクを、授業の時にかけた。どういうメッセージを持っていたのかわからない。彼女は純粋まっすぐ系のひとだった印象が残っているので、単にそうやってスターたちが世界を救う目的でチャリティに参集した、ということに心酔していたのかもしれない。
ちょうどその頃、小室ファミリー全盛期で、小室ファミリーが似たような企画をしていた。「ユー・アー・ザ・ワン」といったはずだ。音楽教師のレーザーディスク視聴が小室の企画に先立っていた気がする。小室企画が出たときに「『ウィー・アー・ザ・ワールド』のパクリじゃん」と思った記憶があるが、いま確認すると小室企画が97年1月1日リリースなので、記憶は正しいかもしれない。なんかすごくしょうもないことのために小室らはファンドレイジングしていたように思っていたが、小中学校にパソコンを普及させるためだとか。それはそれで百歩譲って、ひょっとすると何かの役には立ったかもしれないな。
最近ふとウィー・アー・ザ・ワールドのことを思い出し、西寺郷太『ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い』という本を読んだ。

これは、1985年の音楽的事件をアメリカの「ポップ・ミュージック」というジャンルの全盛期とみなしたうえで、ジャンルの出現からいわば90年代の「終わりの始まり」に到るまで追いかける、手頃でコンパクトな通史といえるのだろう。
背景にはアメリカの人種間の音楽的な緊張がまずあり、そこに同じ英語圏でも完全に違う意識をもったアメリカとイギリスのずれが更にある。エルヴィスやビートルズローリングストーンズ、マイケル・ジャクソンジャクソン5などの、個々の楽曲やアーティストには親しんでいても、ひとつの流れとしてこの本ではじめて見通すことができるようになったと思った。「ワールド」企画に先立って、バンドエイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」があったということも初めて知った。
ただ表題にある「呪い」ということは疑問に思ったし、アマゾンの読者レビューでも疑問符が多い。最重要主題のネタバレになってしまうから、これについてはこの記事の注*1として書きたい。

中学校当時の私は地元のFMラジオをよく聞いていた。毎月ラジオ局の一週間編成表を、配布場所に行って手に入れて、音楽やニュースのジャンルや、局オリジナル番組とキー局配信とを問わず、正時前の5分間の番組に至るまでおぼえていた。ローカルのJ-POPランキング番組におたよりをするだけでは飽き足らず、親に頼んで毎月のイベントに車で連れて行ってもらった。車がないと行けないからである。

ラジオから気に入った曲を録音して切り出し、コレクションしていく「エアチェック」のようなことはあまりしていなかった。中学時代に主流の録音機材はカセットテープ、高校時代・大学時代はMDだった。録音メディア・機器の品質や調達・値段の問題ではなかった。そもそも自分には音楽の良し悪し、あるいは好き嫌いということがまだわかっていなかった。自覚できていなかった。

高校時代に入ると、FMラジオを聞かなくなった。編成表を暗記するようなこともなくなった。ただ、深夜にはずみでチューニングがずれてAMになり、ラジオ深夜便の存在を知ってからそればかり聞いていた。精神年齢がいっきに50ぐらい上がってしまった。

ウィー・アー・ザ・ワールドの音楽教師が言っていたことだと思うのだが、もうひとつ今も覚えていることがある。その教師ではなかったとしても、とにかく中高のいずれかの教師が言っていたことだ。それは、音楽は音楽にだけ影響を与えるものではなく、小説や美術へ影響することがあり、逆もまた然りであるということだ。つまり、藝術においてはジャンル内外の垣根を超えて影響が波及する。これは今も色々なところでそうだなと実感する。

さらに余談を重ねると、80年代ポップスを聞き込んでいたおかげで渡米中にカラオケ大会があってもかなりノレたのは幸いだった。あの頃の曲には、何か底抜けな楽観のようなものが流れている。アメリカのカラオケ大会というのは日本のカラオケとはかなり違うものだ。グループで歌うことが多い。

*1:西寺のいう呪いというのは有り体に言うとこうだ:ウィー・アー・ザ・ワールドの録音に参加したスター達が、その後に軒並み不調に陥り、頂点の座を失っていった。なるほど、キャッチーでセンセーショナルな説であるといえる。西寺はその呪いの実体として、それまでの活動で独自の世界を個々に確立し、それぞれにミステリアスな雰囲気を纏っていたスターたちが、チャリティプロジェクトであるウィー・アー・ザ・ワールドに参加して、MTVなどの映像に繰り返し登場したことで、お茶の間で徹底的に消費し尽くされ、世界を失って行ったのだ、という説明をする。ただ、私はもっと即物的に考えて、頂点にあったスターがやがて凋落すること自体がむしろ自明の理なのではないかと思う。登りつめたら、あとは下り坂、ということではないのだろうか? 確かに「その交替・凋落こそが消費によるものなのだ」と言われればそうなのかもしれないが、その消費がウィー・アー・ザ・ワールドによるものなのかは疑問符を持った。