目次
育児は時間もコミットも重要
育児はいうまでもなく、喫緊で、重要なタスクです。
ぼんやりしていただけで子供がこの世の終わりででもあるかのように泣き、お世話を急かされます。
いいかえれば、継続することは避けられないし、またその際にパートナーどちらかがついている必要があります。
しかも、ひとりついていたら大丈夫であるわけではなく、もうひとりも特段の事由がない限りバックアップするよう強硬に圧がかかります。
ジョギングは継続が重要
ジョギングなどの健康の増進活動は、喫緊ではないが重要な課題です。
ジョギングをいちどや二度しなくても死にません。
ですが、こうした運動の週間というものはじつは一旦、ながく途切れると再開がすこし面倒になります。
習慣ということで、いちにちをどうプランニングするか、という精神的な面でもそうですし、また、フィジカルな慣れという身体的な面でも、いちどブランクが空いてしまうと取り戻すのにすこし億劫になってしまう。
ハードルがすこし上がってしまうのです。
だから継続しないよりは継続したほうが絶対いいのです。
しかし、結婚してパートナーにアテンドすることが求められたり、育児がはじまってしまうとこのルーティーンが容易に崩壊します。
いっぽうで加齢にともなって、健康でいなさいという圧も、また同時にパートナーから強まるのです。
こうした、二律背反とかダブルバインドとも言える現象をどう解消していけばいいのでしょうか。
(ダブルバインドを提唱した人類学者グレゴリー・ベイトソンの著作が最近岩波文庫入りし、現在読んでいます)
どうするか?
短く走る
いっぱんに運動の再開にあたって大事なことは低強度からやることでした。
だから、最初は5分からはじめていっています。
これは、育児との両立のみちを模索するという観点からも実際有効です。
というのも、習慣の破綻は、さまざまなスケジュールのあいだの見積もりがつけられず崩壊するということが肝になってきます。
それは、肉体の疲労限界というリソースでもそうですし、時間リソースでもおなじなのです。
短いランであればそうした見積もりが立てやすい。
そのあいだに、認識も肉体もならすことができます。
家の近くを走る
もうひとつの肝は、家のごく近くを走ることです。
育児期に走ることでの問題は、バックアップに戻れるかどうかです。
近くを走っていれば、連絡を受けてすぐに戻ることが出来ます。
わたしは、自分の住んでいる近所の公園まで走っていき、その公園の外周をぐるぐるまわります。
周回は、距離の見積もりがたてやすく、走りをスケールさせやすいです。
すこし長く走りたいな、と思ったら、繰り返しぐるぐる回ればいいわけです。
いまはごく短時間のランをしていますが、時間を伸ばしていきたいという場合にも即応できます。
子供が寝静まっている早朝に走る
走る時間ですが、現在は朝出勤前の5-10分間をあてています。
実際、走れる時間は朝か夜しかありません。
しかし夜は夕食・入浴・片付け・風呂掃除といったタスクが山積します。
寝かしつけも、状況は不可測です。
あるときはPOISONを聞かせながらおなかをとんとんしているだけで寝ることもあります。
別のときはすべてのことが完全に無意味で、妻が母乳を与えてふとんに沈めることもあります。
いっぽう、朝はほぼ寝てくれていますし、「寝かせなきゃ!」という焦燥感もなくリラックスして走ることが出来ます。
まとめ
ここでの問題は、ライフステージが変化していくときに、のぞましい生活習慣をどうやって再構築するのか、ということです。
たとえばわたしは、5年前の結婚前は毎日ジョギングしていました。
だからこそフルマラソン完走を2回達成することもできました。
しかし、結婚後はジョギングから遠ざかることになりました。
それは、ライフステージが変化して、割ける時間とエネルギーというリソースについて、あたらしいライフステージに向けて再配分・再構築をすることを怠ったからだと現在では反省しています。
だから大事なのは、行動にかかるリソース負荷(エネルギーと時間)をどう認識するかです。
そうした観点から、習慣の再構築をすすめることができれば、いっけん矛盾するような「運動をして健康であれ」「育児に可能な限りの時間を割け」という命令をときほぐしていくことも可能なのではないかと期待しています。
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