殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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「日本行ったことある」米国一般市民はたいてい○○だった

先日会ったおじいさんに「どこの出だい」と聞かれたので「日本だよ」と言ったら「日本か、昔行ったよ」と言われて(沖縄か? 横田か?!)と思ってたら「立川にね。病院にいた。コリアで負傷してね」と続いて、「朝鮮戦争ベテランキター!!!!」と内心盛り上がった。

実は、フリマサイトで(も)あるクレイグスリストにポストされていた中古のミシンを譲ってもらうために連絡を取ったのだ。家から近かったので行ってみたら、リタイアメントアパートメントというのか、つまり老人ホームだった。携帯電話で連絡を取るとその人が出てきて握手をし、部屋に案内された。

引越しをするので断捨離をしているのだという。あれこれ見ることはしなかったが、ご自分でPCを使っているのはわかった。現品のミシンを確認して、現金を支払った。それから、わたしがもとはどこからきたのかという話になったのだ。

1950年頃に20歳前後ということは80-90歳前後ということなのだろう。そう考えてみると少し本当に朝鮮戦争だったのか不安になる。90歳を超えているとは思えなかった。80歳、あるいは70代と言われても不思議ではなかった。そうした歳でPCを使って断捨離をしている、なかなかのコンピュータおじいちゃんといえるか。それはともかく、なんらかの軍務で立川にいた人なのだ。

「当時は日本語を覚えたものだけどね」彼は言った。「もう忘れたね」それはそうだ。

「日本に行ったことがある」という米国の一般市民は、だいたい米軍経験者だ、というイメージがある。

2010年にサンディエゴで2ヶ月間のサブレットの家を探していたときの候補のうち1軒の家主は、沖縄にいたというダディだった。サンディエゴはもちろん、海兵隊・海軍の基地が所在する。たとえば昨年続編が公開されて話題になった映画「トップガン」も舞台はサンディエゴのやや内陸にある航空基地であるミラマーだった。

横須賀にいてヤキソビを食べたという前のアパートメントのメンテ担当のおっちゃんもいた。三沢にいたというトレジョのレジ打ちのベリーショートの女の子もいた。

そうしたひとたちが米軍を退役して、いまは一般市民として生活している。かれらは、そうした地名をピンポイントで覚えている。かれらは任務でいた。その任務というのは平時はもちろん穏やかであっても、いつなんどきというものだ。そのストレスたるや想像するに余りある。そうしたストレスは、強烈に記憶に残る。

また逆に一方でその周辺の土地感覚というのはほとんどない。基地以外のその国のことについて、日本で生まれ育った身としては驚くほど何も知らないで戻っていく。

地方都市にいるということなのか、軍以外の仕事で日本に行ったというひとはあまり会わない。日本で仕事の用というのができない、ということだろう。

そういうものとして米国の一般市民からの日本を自分としても再考している。

ところでおじいちゃんから買ったミシンのSinger Golden Touch & Sew 750を検品していたら、ボビンがどういうことか回らない。ひっくり返してみてみると、フックギヤと言われる機構の歯が欠けてしまっている。調べてみるとその機種には極めてよくあることらしい。

品物の状態にexcellent って書いてあったじゃねえかよ。

24時間以内なら返品に応じてくれると言われていたので返品を考えたのだが、1970年式のものだとは言え、パーツが今でも買えるようだ。わたしは興味が湧いてしまい、修理してみることにした。