殺シ屋鬼司令II

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ウクライナの苦境は〇〇から来ているのではないか 黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』

目次

総合評価&あらすじ

いま、ウクライナは世界でもっともホットな地域です。

それは、2022年2月24日にロシアが攻め込んで戦争がはじまったからです。

ある国のことを知るというのは、学校の教科でいえば社会科の地理と歴史にあたります。

特に、歴史にはその国にくらしてきたひとたちの意識に反映しています。

この本は、わたしもふくめてウクライナという国をよくしらなかったひとが、新書で手軽に、有史以来・出版された2000年前後までのウクライナの歴史を知ることができます。

この本の特徴

著者は、外交官で、かつての駐ウクライナ大使でした。つまり、日本国を代表する立場としてウクライナに駐在し、ウクライナと日本の関係を維持していました。

駐在時には、現地でさまざまな要人と交流したり、現地の旧跡をたずねたりする機会があった。そうした経験も本には反映されています。

ウクライナの歴史の特徴

ウクライナという国の歴史をどうしてしらないかというと、世界史のなかでもやはり、周囲に覇権国ができたためにかげがうすくなっているからだという印象があります。

もちろんロシアというかその首都モスクワの南にある黒海沿岸の国です。

世界史というのを雑に言うとメソポタミア・エジプト・インド・中国の四大古代文明がやはりあったあと、西洋・欧州の歴史というと地中海のギリシア・ローマとオリエントのあいだでのせめぎあいがあり、西欧がなぐりあいをつづけているうちにやがてモンゴルがいちどユーラシアをいっしょくたにしてしまって、そしてまた各地で再起動して(雑)……という、覇権がどううごいていったかという見方をしてしまいがちです。

ウクライナという国のいまある地域はそのあいだ、傍にいた。

でもついぞ、覇権となるに至ることなく、ながくくるしみ、そしてようやくつかのま独立の意気をもった!(大団円!)というところでこの本はおわる。

この本は、2002年に出版されています。

しかしわれわれはその20年後をいきていて、その大団円はあきらかに暗転しています。

戦争がおきてしまったからです。

印象に残ったこと

肥沃な穀倉地帯

まず歴史というまえに、地理的にウクライナは非常に肥沃でした。気候もたいへんいい。地中海ではない黒海ですが、地中海性気候に属する。温暖で、非常に良いところであるわけです。

だから現在も小麦の一大産地です。世界で生産される小麦の何割かにあたる。それだからこそ、ウクライナ危機が、世界、とりわけアフリカの食糧危機に直結しそうになっている。ロシアはそうしてアフリカの人たちを人質にとって、西欧と戦争をしている。

なんだか最近のなろう系、無双系、俺TUEEE系ファンタジーの悪役が、どれもこれも卑怯者ばかりなのを思い出します。

そうした肥沃さが、恵みでもあり、実は、呪いともなっていたのだなという印象を、ウクライナの歴史はもたらします。

ところが、ウクライナと呼ばれるようになるこのフロンティアは、危険ではあるが、それ 以上に豊かで、魅力のある土地でもあった。 一五世紀にはすでに北西の人口過密地帯からドニエプル川やその支流に魚、野牛、馬、鳥の卵などを求めて来る者があった。最初に来た者はポーランドリトアニア領内の貧しい下級地主や町民であった。そして彼らは、はじめは 数日のみやってきたが、そのうち夏の全期間滞在するようになった。また夏の期間だけ農業をする者も出てきた。そして夏が終わると魚、獣皮、馬、蜂蜜をもって家に帰った。しかしその帰途役人に分け前を取られることとなり、これを嫌って、ついには勇敢な者たちは冬も帰らないようになった。

辺境地帯が豊かだという噂は尾鰭をつけて広がった。 一六世紀の文献は、この地の土壌は 肥えているので百倍の収穫がある、畑で鍬を忘れて三〜四日すると草の生長が早いので鍬を見失ってしまう、蜜蜂は古木だけでなく洞穴にも蜜を溜めるので蜜の泉が当たり前にある、刀を水に立てるとあまりに魚が多いので刀は垂直のままである、春に野鳥の卵を採りにいく と鴨、雁、鶴、白鳥の卵で船が満杯になる等の誇張した話を伝えている。いずれにせよこの辺境の地がどのように見られていたかがわかる。

コサック

現代に直結する近代の歴史を中心に見た時、ウクライナの人々の特徴はコサックと農奴にあります。

肥沃な土地に居残ったひとたちは、周囲のタタール人という遊牧民族が奴隷狩りに来るのを迎撃しなくてはならなかった。

自由と豊かさのために居残った者たちは、 タタールの奴隷狩りに備えて自衛する必要が生じた。こうして一六世紀はじめまでに彼らは武装し、 組織を作っていった。

コサックは、「自由の民」を意味するように、強い戦士であるという、自意識を持った集団です。旅をするときも寝る時も、銃を手放さない。また、馬に乗っています。馬と銃というのは、20世紀に入るまでの人類の持っていた兵器の中でトップでした(ちなみに、兵器ということで言えば、ガリア戦記などを読むと、ローマ時代の最終兵器が「橋」ないし土木だったことがわかります)。

コサックは、民族という括りよりも、そうしたライフスタイルを持っていた、非常に多様なバックグラウンドの集団だったことがこの本からわかる。

日露戦争でも、日本の陸軍の行く手を阻んだのは世界最強を誇るコサック騎兵隊でした。

コサックの強さを描写した歴史書からくだりが引用されています。

彼らは非常に頑健で、暑さ、寒さ、飢え、渇きに容易に耐える。 戦いには疲れしらず で向こう見ず、自分の命を惜しまない。彼らは才気があり、器用である。また美しい体軀をもち、はつらつとしている。そして健康で、高齢者以外病気で死ぬ者は少ない。もっとも、大部分のものは「名誉の床」すなわち戦場で死ぬ。

民族的にはいちおう連続してはいませんが、ただし、この地で活躍した戦闘民族は、歴史をさかのぼると、スキタイだったとも書かれています。

スキタイという民族は、いまのひとたちにとってはこの印象が筆頭になるのかなとおもいます。


ヒストリエ』の主人公は、ギリシャからマケドニアで活躍しますが、もとはスキタイの出であると描写されています。

そこでも印象的にスキタイが戦闘に長けた民族であることが描かれます。

黒海は、ギリシャとトルコのあるエーゲ海のすぐ北にあります。そうした位置関係からも、スキタイが身近というか切迫していた。

ただそれでも、歴史でスポットライトの中心にあるのはギリシャでありマケドニアだったように、どこか、黒海の北側は辺縁で語られている。

隷属の謎

コサックに話を戻しましょう。

そのコサックは、近世のはじめごろは頭角を現し、タタール人から自衛するだけではなくて、逆にタタール人を攻撃するまでになっていく。非常に強くなっていく。

しかし、どうもそのコサックは、国という意識、あるいはその地域の意思のコンセンサスとなると、いまいち強固なものをもてなかったようです。結局、ポーランドや、後にはロシア帝国などに従属するという行動パターンが繰り返されます。

たぶん、土地の肥沃さは、ここでも決して無関係ではないのでしょう。

比較的、飢えという状態から距離がある土地で、黒海北岸に住むひとたちは、意思を統一するという切迫はなく、従属、あるいは隷属という状態が続いていく。

すなわち、長い間にわたって農奴としてこきつかわれる。

単にコサックという戦闘集団であるというだけでは、十分ではなかったんでしょう。時期としても、近世から近代へと移り変わった。そのとき、ますます人々の往来が激しくなって「変化の急激な時代」が到来したときに、必要とされる意思決定の手段が、絶対主義すなわち強力なリーダーシップだった、ということなのだと思いました。

その強力なリーダーシップを持つのが遅すぎたというよりも、周囲にアクの強いリーダーシップが同時期に多すぎたことも近世ウクライナというかコサックたちの不運だったのかもしれません。敵が多すぎます。遊牧民族、トルコ、ポーランド、ロシア、オーストリア、ドイツ……という相手が入れ代わり立ち代わり支配する。

ひとことでいうなら、敵は、どれだけそこに強い敵がいても攻めるうまみ(ベネフィット)が大きく、しかもそれが四方の近傍を囲んでいた。そしてその結果、自衛にはコストがかかりすぎた(春の泥濘はあったにしても……)。その結果、なんという無理ゲーかというほどの取られ損になっていくことがわかる。

それにしても、組む相手を間違えて裏切られたり、戦う相手を間違えたりと、散々な目にあってます。

ウクライナをちゃんと知りたいひとにおすすめ

『物語 ウクライナの歴史』は新書判なのでお値打ちで手軽に持ち運べます。

そして有史から2000年頃までの歴史をざっと把握することができます。

たくさん固有名詞が出てきますがもちろん覚える必要はない。でも、やはりコサックが登場する第四章からの、意思決定で遅れを取るさまを読んでおくことは重要ではないかなと思います。