殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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学部生の失敗愛すべし(然してはっきり正すべし)

自分が学部生で臨海実習に行った4月の時期になると、思い出すことがある。

三年生4月の時期に神奈川県の三崎臨海実験所で海藻採集して腊葉標本(押し葉標本)を作る実習を植物専攻はやる。なお、引率担当はのちの指導教員でした。

わたしの出身大学では1,2年は教養学部にいて、3年生で専門課程に振り分けられるため、実質的にこの臨海海藻実習が親睦を深める合宿でもあった。

なんかその頃気合いだけ変に入りまくってたわたしは、採集結果に満足できず、一週間の実習の期間が終わった翌日にまた行ったんです。当時住んでいたのは山手線の大塚駅が最寄りで、三崎までは軽く2時間以上かかる。

どうなったか?

戦果を得られずすごすごと帰ってくることになった。また2時間以上かけて。オケラになった理由にはその場で理由に気がついて恥ずかしくてずっと秘密にしていた。

しかし、今から考えると学部生がそんな間違いしてたら「おう、ういやつよ」と言いたいですね。

自分はどちらかといえば本の虫だったというか、本とかを調べたりしてたけど、考えてみると要所要所でそういう苦い経験に、しっかりと栄養がある。

そういう実地で恥をかいた経験の方がすごい衝撃だったし、いっぱい学ぶことが出来た。

なぜ何も取れなかったか、わかる人は常識ですね。

今の自分だったら当時の自分に

「残念やったな。臨海実習の日程は大潮に合わせてあるから、日程がズレると干満が合わんのよな。入れなかったでしょう。でも、ほいほい入ってって、仮に滑って流されたりしても責任取れんから、入れなくてかえってよかったよ、そんなにコン詰めんでええんや、これから勉強しいや」

と言うでしょうか。

世の優等生のひとたちはこうしたことを評論してゼッタイダメというに違いありません。なぜなら、引率の責任問題になるからです。わたしも諸手を挙げて賛成しますし、反省しているのです。仮に私が指導する学生がいるとして、臨海実習を引率したら、自分の経験を踏まえて注意するでしょう。

私はその恥をしのんで書いています。自分の過ちを繰り返さないために……といってもこんな考えなしのことをしでかすのは余程の考えなしでしかやらないかも知れませんね。

それが結局専門課程のとっぱじめだったんですが、その後にあった実習についても、後にその意義についてはよく考えることになりました。

thinkeroid.hateblo.jp

学部の卒業研究でも数限りない失敗をしました。例えば、大腸菌を培養するLB培地を水に溶かして調製したあと、オートクレーブで滅菌するのを忘れて一晩立ってみると、見事に真っ白に雑菌が繁殖してしまい使えなくなりました。LB培地というのは大変栄養に富む培地なので、アルミホイルして加熱・加圧下で滅菌しなければ、もともと粉末や空気中、フラスコ、あるいは水に微量に混入していた雑菌でも容易に繁殖することが出来てしまうのです。同じ研究室で博士課程だった先輩はそれを見て、当時流行っていたサンバ曲名になぞらえて「ソツケンサンバ」とからかいました。いまや19年前のことです。

学部であれ大学院であれ、はたまたその後であれ、誠実・真摯に行動した上で失敗することはある程度許容される必要があると考えています。

失敗というのは、「結果」に対する評価です。つまり期待された結果が得られなかったということです。しかしそれは、「不成功」と「間違い」がある。そしてその両者ともに、教えられることがおおいものです。不成功というのは、当初の目論見がそもそも合っているかどうかわからない中で、目論見が合っていないことがわかるものです。一方の間違いというのは、目論見を遂行する手順の設計が不十分であるために、判別できないということに該当します。

この両者の区別をつけることを研究の手順では学ぶことになりますが、学部生であれ、大学院生であれ、それは貴重な経験となるでしょう。一つ一つ認識を改めて訂正することができれば勝ちだといえます。

トライアル・アンド・エラーとは概ねこういうことになるでしょう。