殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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東京の街が崩壊しつつある……と思っていた

平塚市という関東平野の西の果てにある都市から東海道線のボックス席に乗って通勤していた1年半、車窓から見えるメガロポリスは正直言ってくすんでみえた。くすんでいるというか、メガロポリスを構築するこのコンクリートが涙や汗を流しているように、基礎の鉄筋がサビを流していたり、材質が溶けて出てきているようなのが見えた。わたしは東京という街を先進的な都市だと思っていたが、そうしてミクロスコピックにつぶさに見てみれば、あちらこちらでほころびがでてきている、そしてそれを修理する余裕は日本にはもうないのだな、と思って、自分がやがて離れようとする退職の頃には感慨深く思ったものだった。

そして無職の3ヶ月間を過ぎて渡米し、8ヶ月が経つ。6年ぶりに訪れた都市はいくつかの変化を見せていたが、コロナを受けても人々の基本的な行動パターンは変わらなかった。目が合えばにっこりする。ラーメン屋にターゲットで買った鬼滅の刃のTシャツを着ていけば「それいいね」とレジの店員が話しかけてくる。私が思っていたアメリカそのものだった。

しかし日本での6年間を経て改めて感じたのはアメリカという国に生きる人々の鈍感なまでの前向きさだった。6年ぶりに戻った職場の研究所は人も建物も増えて拡大していた。やや潤っている、そんな雰囲気を覚えた。アメリカ不況だと騒ぎ立てる相場師は喧しいが、中にいる人たちはなにかそんなことなど意にも介さないで、輝かしい未来を今も見ているかのようだった。

そういうアメリカでの生活が半年過ぎた頃だろうか、ふと思った。

「おれは、東京がもうすぐ崩壊すると、自分の目で見て思った。そのおれはいま、アメリカの街をどう思うか?」

自分がただのバカだったとわかった。アメリカに来てからはもちろん東京の建築・インフラの崩壊なんて気にすることもなかった。目にしていないのだから、当然だ。何しろ自分の日々のプロジェクトでいっぱいいっぱいのうえに、子育てという絶対のミッションまで抱えている。水が蛇口を詰まらせ、乾燥機はホコリで詰まる。子供は公園に連れていけと泣きわめく。そんな夫婦に東京が何の関係があるだろうか? そしてやっと半年経って懸案がひとつだけ解消されたときにわたしが一年前の自分の感慨のことをふとした瞬間に思い出した時に目の前にあったのは、ひび割れまくってガタガタデコボコしている制限速度時速40マイル(時速65キロ)道路だった。日本の感覚だと結構飛ばすことになるが、そんな道路が平気でがたがたしている。時には大きな穴が空いていることさえある。そうした日々通る道だけでなく、高速道路ともいえる、60マイル(100キロ)道路でさえあまり本質的に違いがあるとは思えない。さすがに穴ぼこは空いてはいないが、凹凸が完全に消えたわけではない。結果として、制限速度をちゃんと守ると、ヒヤヒヤしながら通ることになる。それでもみんなビュンビュン走っていく。

ダウンタウンの方に行けばあちこちで木の板を打ち付けて封鎖した半分廃墟化した空き家が立ち並ぶ。なんとなく荒涼としている感じさえする。街がくすんでいる、終わるという評論はあまりに容易だ。しかし結局のところ、自分は自分の価値を編みだしていくほかない。

そんなことを次の記事を読んで思った。

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