運否天賦ということ

コイントスで即決。決断が遅れるより、偶然で決めた方がよいことがある - 日経ビジネス Associe(アソシエ) 」を読んで、普段考えていることに近いと思った。
満員電車で、扉の際に置かれている、としよう。そのとき、自分の降りたい駅はどちらの扉が開くか、というのは大きな問題である。
東京メトロ・地下鉄丸の内線で、本郷三丁目から池袋に向かうとき、いつも悩む。池袋行きの電車は、大手町から新大塚*1まで進行方向左側が開く。池袋だけは、多くの場合、確率にゆだねられる。
たとえば銀座線の一方の末端である渋谷駅は、車庫が直結している。全ての電車は一度車庫に入るから、常に左側のドアが降車口となる。手前の表参道では左側の扉が開くから、その時に最後に乗れば扉際は死守することが出来よう。佐藤雅彦『プチ哲学』風に言えば、プッチンプリンの法則、である。
しかし池袋では、近傍の車庫は茗荷谷にある。丸の内線池袋駅に停まる車両は、一番ホームか二番ホームか、つまり左が開くか右が開くか、直前まで知れない。車内放送も時々到着ホームを告げることなくだんまりを決め込んだまま駅に列車が入ることがある。あるいは、アルコールを吸い込んだ巨大な膿胞の一団が、人語とは到底解されない呻きをあげあうので、最も聞き取りたい情報がかき消され、通告があったかどうかすらもわからないこともある。
駅における瞬間最大律速段階は、改札ではなく、階段である。高速道路の混雑は主に坂道とトンネルで、意識しないスピードの低下が蓄積されて生じることは渋滞学の法則が示すとおりである。電車を降りたら、混雑の起きていない階段を駆け下りるOR上がること、これにつきる。そのためにはポールポジションを確保することが望ましい。こうすることで不快を蒙るのを避けることができる。
ここで私は、左右のドアを横に、はたと考える。どちらに賭けるか。左に賭けて、左が開いたら、まっすぐ、ほとんど誰にも妨げられず、階段を駆け上がれる。右が開いたら、満員に詰め込まれた糞袋のために、降車は遅れてしまう。
だがここで迷って、見せかけの自由意志が外れた結果、地団太を踏むことがある。そんな自由意志なら捨ててしまうがよい。どうせ、扉が右か左かで、終電を逃すということはまずない。丸の内線の終電が着くのよりも、たしか、東上線の終電の方が遅い。そもそも、右側を確保できることは平日夜間の帰宅時にはほとんどない。右か左かなどという選択は、昨年にわかに話題になった様々な国籍問題と同様、いかなる領域にあっても、自意識の問題でしかない。自意識が辿ってきた経路が感情の係数を醸成する。見せかけの自由意志を放棄して、責任を自分が定めたルールになすり付けろ。

  1. 本郷三丁目で乗ったとき、右側のドアの所にだれも立っていなければ右側のドアを確保せよ。
  2. そうでなければ左側のドアを確保するよう努めよ。
  3. 開くドアの左右が判明し次第そこを確保するよう努めよ。

これは私が自分の感情の係数をはぐらかすために取っている方策の一つである。

*1:ネオ大塚、とすると、一気にサイバーパンクになる。しかしあくまで大塚である。